「感受性」の高いあなたへ

私は、自分のことを「感受性」の高い人間だと思っています。
 
「感受性」とは、私の中の定義を説明しますと、
自分も含む全ての「生命」から、
「共感」や「気づき」や「エネルギー」を感じる力ということです。
そして加えて、「生命」が想いを込めて創出したもの(「芸術作品」や「祈り」)からも
同様に「共感」や「気づき」や「エネルギー」を感じる力ともなります。
 
「感受性」とは、アンテナに性質が似ていて、
「感受性」の高い人は、普通に道を歩いているだけでも、
様々な「生命」の息吹に「心」が反応するのです。
 
例えば、私は道を歩いていて、ハトやスズメがいると必ず視線を向け、
彼らの仕草を「優しい」気持ちになって観察します。
同様に、様々な形をしている雑草にも視線が向き、
彼らはどんな「生き方」をしているのかなと、ものすごい「好奇心」に包まれます。
 
私の場合、仕事に追われることのない「散歩」をするという「時間」は、
とても贅沢な時間です。
様々な生命から、気づきを得ることができます。
なぜなら、生命は皆「一生懸命」だからです。
「一生懸命」に咲かせた花に感動し、
「一生懸命」生きたにも関わらず力尽きようとしている「生命」に「敬愛」を感じる。
 
私は海外旅行に行ったときにも、私はその土地の「生命」に心が惹かれます。
韓国旅行に行ったときのことです。
まず、ソウルの街には、日本と同様にハトやスズメがいることに興奮しました。
そうして、日本にはいない鳥に目を奪われ、
これは何の鳥かと、韓国のことが詳しく記載されているガイドブックで一生懸命調べました。
 
その鳥は、カラスのような大きさの鳥なのですが、
面白いことに白黒の色をしているのです。
そして、私はついに突き止めました。
カササギという鳥だったのです。

カササギウィキペディアは、こちら
日本では、佐賀県の天然記念物に指定されている希有な鳥のようです。
 
さて、話を元に戻します。
 
「感受性」が高いということは、
要は他の「生命」から頂ける「エネルギー」の量が大きいということです。
そうした時に、「感受性」の高い人々は困ったことが発生します。
それは、インプットが過多になってしまい、
「心」が苦しくなってきてしまうということです。
例えば「感受性」の高い人々は、他者からの理不尽に対する抵抗力が弱いです。
また、他者に自分がやってしまった理不尽を、長く悔やむ傾向もあります。
これらは、「共感」が強いからこそ起こる現象なのです。
 
それでは、「感受性」の高い人々はどうすれば、苦しまずに済むのか?
インプットの過多が原因なのですから、アウトプットをすることが答えだと考えます。
 
アウトプットとは、文章として日記やブログに描いたり、
絵や写真小説や音楽といった創作物を作成したり、そういったことです。
このように、何かを生み出すことによって、
「感受性」の高い人々は、「苦しみ」を、「感動」や「幸せ」に昇華することができます。
 
 
「感受性」の高いあなたへ
 
私は、こんな風に思うのです。
「感受性」の高いあなたには、役目があるのではないかと。
それは、頂いた他の「生命」からの「一生懸命」を受けて、
その「エネルギー」を形としてアウトプットするということです。
 
どんな形でも構わない。
たくさんの「生命」の「想い」を、形にして欲しい。
たくさんの「生命」の「想い」を紡いで、
「一生懸命」の美しさを、「生命」の美しさを、高らかに歌い上げて欲しいのです。