「心」の「直通」

「人」が「生きる」ための「心」の「エネルギー」。
私はそれを「他者」との「心」の「直通」と見ています。
 
私はコンサルタントの仕事をしているのですが、
支援の最初の頃というのは、なかなか仕事がやりづらいものです。
お客様の中には、私のことを値踏みして疑っている場合もあります。
 
もちろん、そういった中でも、私はしっかりと頑張って支援をしていきますが、
そういった「疑い」を感じた時には、
「心」に「エネルギー」が湧き上がらないことも事実です。
しばらくして、頑張ってお客様に認めて「信」じてもらえた時に初めて、
私の「心」に「エネルギー」が充填されます。
お客様のために頑張ろうという気持ちがふつふつと湧いてくるのです。
つまり、お客様と「お金」でなく「心」で繋がれた時に、私は仕事に「幸せ」を感じます。
 
それにしても、仕事初期のお客様からの「信」のない状態というのは、私は本当に苦手です。
「人」と「人」の間に「お金」が挟まると、どうしても「疑い」が生じてしまいます。
その「お金」が発生させる「疑い」を乗り越えて、
お客様が「ああ、この人はお金のためではなく、私のために仕事をしてくれているのだな」と、
思って頂けるようになって初めて「仕事」に「やりがい」が発生するのです。
 
このように考えていくと、やっぱり「お金」のような「モノ」は「障害物」であり、
対極に位置する「心」や「命」こそが私達の「味方」であることを強く実感します。
「人」や「生命」は「モノ」など介さずに「心」と「心」で繋がれば、
それで「幸せ」なのです。
それから、「モノ」である「遺伝子」が発生させる「欲望」や「感情」も、
「モノ」サイドとなります。
ですから、「心」と「心」の間に「欲望」や「感情」が入ってしまっても、
「心」の「エネルギー」は遮断され「幸せ」は生じない訳です。
 
この「心」の「本質」をうまく利用しているのが、新興宗教なのだと思います。
彼ら信者の仲間内では、「お金」や「欲望」を介さずに直につながっている訳です。
例えば親との関係もうまくいっていない人は、
自分の世界にそんなピュアな「心」の「直通」がなかったため、
信者の共同体にどっぷり浸かって、そこから出られなくなってしまいます。
 
ある意味、新興宗教は「現代社会」への「アンチテーゼ」です。
現代社会」が提供し得ない「心」の「直通」を提供することで、
人々に「ユートピア」を示しているのです。
私は、新興宗教のその「心」が「直通」する「共同体」のことは否定しません。
そういうものを提供できない「お金」を介した資本主義社会の方が、
この点においては「悪魔」なのだと考える次第です。
 
しかしまあ、新興宗教の教祖や幹部連中の肥大した「欲望」自体には反吐が出ますが。
 
そういった訳で、今の日本社会には、
新興宗教以外の「心」の「直通」の受け皿が必要なのだと考える次第です。
 
真に「愛」してくれる家族、真に「信」じてくれる家族。
そういった存在があれば、まずは「幸せ」を噛み締めることができます。
しかし世間一般は、そのような恵まれた環境ばかりではないでしょう。
その場合、「心」の「直通」を他に探す必要があります。
 
「親友」や「恋人」は、そんな存在なのでしょうか。
ですがこれらを得ることができない人々も世の中にはたくさんいるし、
不倫のようなことが多発するこの世界では、
相手の「幸せ」を切に願う「真」の「恋人」関係というのも意外に少ないのかもしれません。
「心」の「直通」がない「恋愛」は、逆に「苦しみ」を生むでしょう。
 
はたして、血の繋がった「家族」の関係以外で、
「あなたはあなたであれば、それだけで十分」という関係を構築することは
容易なことではありません。
 
じゃあ、「心」の「直通」を得るために、何をすればよいのでしょうか?
私は一つの解決策として、「メンター」を探すことを提案します。
「メンター」という概念は、企業の組織論にも登場する概念であり、
言わば「人生」の相談者といったものです。
(メンターのウィキペディアはこちら)
 
例えば、ニートの方々の自立支援として、
レンタルお姉さん(お兄さん)」というサービスを提供するNPO法人があります。
ウィキペディアこちら
このNPO法人の職員のお姉さんやお兄さんが、ニートの方々を訪問し、
「メンター」となって「心」の「直通」を生じさせて、
「心」の「エネルギー」を補填するのです。
実に、理に適った方法だと思います。
ニート」の方々というのは、「他者」の「心」から隔絶され、
「心」の「エネルギー」が枯渇している状態だからです。
私は、この「レンタルお姉さん」の活動をされている女性とお話をしたことがありますが、
実に「慈愛」に満ち「人生」をしっかりと捉えているた素晴らしい人でしたよ。
 
という訳で、「幸せ」を求めるなら、
綺麗な女性やイケメンの男性を求めるよりも、
「メンター」を探した方が効果的かと考えます。
別に「レンタルお姉さん」のサービスを利用しなくても、
自身の周囲を探せば「メンター」となってくれそうな候補者は結構いるものです。
 
私が考えるに、「メンター」を探し出すコツは一つだけです。
それは、「人生」を達観している人を見つけること。
 
「欲望」にも囚われす、物事を公正に判断し、いつも「笑顔」でいるような人。
そんな人は、周囲を探せば必ず一人はいるものです。
「この人はすごいな・・」という人が。
 
もちろんこういった特性を持つ人は、年配の方が多いでしょうね。
そういった方々に、「相談」を持ちかけて「メンター」の関係になってもらうことは、
意外に簡単なことではないかと私は考えます。
人生を達観した方々は、「与える」ことに「価値」を見出している人々ですから。
 
「人」を求める時に、
「美醜」や「名声」や「肩書き」や「ステータス」や「裕福さ」を判断材料にしても、
なかなか「幸せ」に直結しないような気がします。
そうではなくて、「人」を求めるなら、
「人生」を達観して「モノ」や「感情」に流されない「人」を求めるべきだと思うのです。
その出会いこそが、「心」に「直通」の「エネルギー」と「変化」をもたらします。