私の「レーゾンデードル」

レーゾンデートル」という言葉をご存じでしょうか?
フランス語で「存在理由」を意味します。
これは、「人」に対して使われる言葉です。
例えば、「私のレーゾンデ−ドル(存在理由)は・・」という感じで使います。
 
「人」はこの「レーゾンデードル」を持たないと、「幸せ」になれない。
私は、そう考えています。
この「レーゾンデードル」がわからないと、自分が何者かわからない。
「名前」なんかでは、自分を説明できません。
例えば同姓同名の人がいたとしても、その二人は全く同じ人ではない訳ですから。
 
そうではなくて、自分を表わすには
もっと深く「本質」を表わす「言葉」が必要なのだと思います。
例えば、イエス・キリストなら「人々を愛する者」とか、ブッダなら「目覚めし者」とか。
イチローなら「野球で日本人に夢を見せる者」とか、
チャップリンなら「世界中を笑わせた者」とか。
 
名前よりももっと、その人を「表現」する言葉があると思うのです。
私は、それこそが「レーゾンデードル(存在理由)」だと思っています。
 
何のために生まれたのかという「存在理由」を構築できない時期というのは、
主体性を持てず他者や社会の「価値観」に支配され、
「幸せ」になることが困難な時期です。
 
生きていく中で様々な「縁」と出会い、
その「縁」がいつしか自身の「存在理由」を教えてくれます。
「存在理由」を知って初めて、
「人」は自信を持って自分の道を歩き始めることができるのです。
 
私にも様々な「縁」があり、私のこの「世界」での「存在理由」を知りました。
その鍵は「ブログ」です。
「ブログ」を描き始めるきっかけも、私が様々な「縁」に出会ったことによります。
そして「ブログ」を描き始め、そこから更に様々な「縁」と出会い、
また、昔描いた「ブログ」の文章に自分自身が助けられることもありました。
 
ここまで「人生」を歩いてきて、気づくと、
「ブログ」は私のかけがえのない「パートナー」となっていたのです。
 
「優しい唄歌い」という私の描いた短編小説が、この「ブログ」の原点となりました。
この「小説」の主人公は、「理不尽」な「世界」の中で、非力ではあるけれども、
苦しんでいる人々に「心」を痛め、苦しんでいる人々と共にあり、
苦しんでいる人々のために、「せめて」もと「心」を込めて優しい唄を歌います。
そして、その歌を聴いた苦しんでいる人々は、
その「優しさ」に出会うことで「生まれてきてよかった」と思ってくれるのです。
 
今、ここまで「ブログ」と共に歩んできて、
私の「レーゾンデードル」は、やはりここにあると感じています。
 
「ブログ」の文章は、私の「唄」に該当するものです。
様々な体験を積み重ね、様々な葛藤を乗り越え、出会えた感動に涙して、
そしてそれらを糧にして、「唄」を歌い続けます。
読んで頂いた方々にとって、何かしらの「人生」の糧になれば「幸い」です。
読んで頂いた方々の「心」を、わずかでも温かめることができたら「喜び」です。
 
そして、少しでも「世界」の「幸せ」に貢献できたとしたら、
私は生まれてきた甲斐があったということになります。
 
私の「レーゾンデードル」は、「ブログ」で「人生」を歌い続けること。
そしてインターネットの力を使って、
少しでも「苦しんでいる」人々を「笑顔」にすることです。
「生まれてきてよかった」って思えるような「優しい唄」を歌えるように、
私はもっともっと体験し苦しみ気づき感動します。
 
「レーゾンデードル」さえ決まってしまえば、私も「幸せ」になれます。
どんな環境の変化や「理不尽」が襲ってきたとしても、
私は私の「存在理由」ゆえに揺らがずに前進することができるからです。 
 
 
 私の「レーゾンデードル」は、「優しい唄歌い」。