「人生」は「流れる河」のように

「普通」の「人生」というものは、存在しないでしょう。
誰もが、唯一無二の「独自」の「ルート」を生きています。
そう、この瞬間も71億のそれぞれの「人生」という「小説」に
全く新たな1ページが綴られている訳です。
 
もちろん私も、私だけの独自の道を進んでいます。
この既製品でない完全オーダーメイドの「小説」を、最近は少し楽しんでいる次第です。
 
ある程度「人生」を歩んでいると「人生」の奥深さというものが見えてきます。
 
例えば、私はこのようなブロガーになるとは思っていませんでした。
正月に初めた日記が2週間で終わってしまう私が、
まさか450個ものお話を夢中で描き続けているなんて。
それから、今の私の仕事も、まさかこんな分野で働くとは思っていませんでした。
ビリヤードの玉のように、様々な玉に押し出してもらい、私は今この道を進んでいます。
 
もちろん、自分の行きたい方向を見据えて、
そこに向かっていく立派な人も、多くいらっしゃるでしょう。
しかし、「ヴィジョン」を持たないような人間でも、
生きていけば「方向性」は、できあがっていきます。
 
本当に不思議なことですが、
「ヴィジョン」を持たなくても「河」は流れ続け、
そして様々な「ご縁」と出会い、
気づけば自身のあるべきところに向かっているのです。
その流れを感じられれば、しめたもの。
目指すべき河を忘れた鮭も、力強く上流に向かって泳ぎ出すのです。
 
こんな私にも「自殺」を真剣に考えるような苦しい時期がありました。
その時は、「なんで俺だけこんな人生なんだ」と恨み節全開でした。
ただ、今振り返ると、
その「苦しみ」は、「真っ直ぐ」泳ぐための「心」の良好な「重し」となっています。
 
行きたい方向がわかっていても、なかなか「真っ直ぐ」泳ぐって難しいんですよ。
 
それから、様々な「ご縁」と出会い、
刺激を受け、時にはぶつかり合い、時には一方的にぶつけられ、時には助け、
そんな風にたくさんの「ご縁」に泣いたり笑ったり優しくなったり悲しくなったりすることで、
「心」の形は、まろやかに丸くなってきます。
 
そうすると、スムーズに「人生」を進むことができるようになり、
嫌で嫌でしょうがなかった私の「人生」が、
いつの間にか楽しくなってくる。
「人生」の「味」がわかるようになるんですね。
 
「人生」という「河」にあるものは、「ご縁」だけであると私は思います。
「人生」を進む意味が「心」の重さや形を変えることであるならば、
その変化をもたらすことができるのは「ご縁」だけなのです。
昔の王様が手に入れた、「富」や「酒池肉林」なんかでは「心」は満たされない。
つまり「モノ」ではなく「生命」にしか、「心」を磨くことはできないのです。
 
そのように考えを進めていくと、
「人生」の「真」の「意味」とは、
この世界で「ご縁」と出会い影響を与え合うことなのかなと思います。
「心」を成長させてくれるよい「ご縁」に出会うことに比べれば、
「大金」を得ることの「意味」は薄い。
なぜなら、「人生」を味わう主体は「心」なのだから。
 
「一期一会」。
「人生」は流れる「河」のように。
出会うのも「ご縁」。
そしていつかわかれるのも「ご縁」です。
 
わかれたとしても「心」にはしっかりとその「ご縁」が刻まれている。
 
「心」を込めて「ご縁」と出逢いましょう。
「心」を込めて「ご縁」とわかれましょう。
 
「ご縁」こそが「人生」に「満ち」ているものであり、
もっと言えば「人生」の「道」そのものなのです。
そしてその「道」を通ってきた「私」という存在は、
「ご縁」を纏ってどんどん大きくなっていく。
「存在」としても、「重要性」としても、「責任」としても。
 
纏った「ご縁」によって、「成る」べき自分が決まり、「成す」べき事が決まるのです。
 
さあ、纏ってきた「ご縁」に耳を傾けてみましょう。
あなたの素敵な「旅」の目的地は、どこですか?