ブリキの木こり

私は、「オズの魔法使い」の話が好きです。
オズの魔法使い」では、
「心のないブリキの木こり」と「脳のないカカシ」と「勇気のないライオン」が、
主人公のドロシーと共にエメラルドの都を目指して旅をします。
 
何かが不足している者が集まり、
助け合いながら成長しながら一緒に進む。
こんな「人生」を送れたら最高だなぁと、思います。
一人旅だけでは成長できないものがあるのです。
 
オズの魔法使い」好きが高じて、
過去に「オズの魔法使い」を題材にしたショートショートの小説を描いたりしています。
(小説『虹の彼方に』)

ところで、上記の小説の主人公は「心のないブリキの木こり」の男性です。
なんとなく、自分は昔から「心のないブリキの木こり」に共感を覚えていました。
 
今にして思うと、自分には「感情」がほとんどないということを昔から感じていたようです。
 
実は私には、中学生以前の「記憶」がほぼありません。
子どもの頃の記憶がないということは、なんだか「根」のないようなフワフワした感じです。
「記憶」は、強い「感情」によって想起されます。
ですので「感情」を出すことを禁止していると、「記憶」は形成されないのです。
(過去ブログ「子どもの頃の記憶がない!」)
 
親から聴いた話ですと、幼児の頃は泣き方がすごかったらしいです。
お腹に力を入れて泣くあまり、私は幼児の頃に脱腸の手術を2回受けたと聞いています。
そんなに「感情」が激しかったのに、今はほとんど封じられている。
 
「感情」がないと、どうなるか?
まず「友達」ができません。
 
「友達」とは、「感情」が「共感」して成り立つものなのでしょう。
「感情」がないロボットみたいな人間には、「感情」を重ねることはできません。
考えてもみてください。
ホンダの開発したロボット「ASIMO」と友達になることはできるでしょうか?
そのロボットがいくら言葉を話しても、「友達」になることは不可能だと思います。
逆に、ペットとは「友達」になれるでしょう。
彼ら犬や猫には、瑞々しい生の「感情」が豊富に存在します。
 
そう考えると、
「感情」とは「人」と「人」をつなぐ「接着剤」のようなものなのかなぁと考える次第です。
 
確かに「感情」には、人を傷つるような悪い要素もありますが、
「感情」なしに生きることの「薄ら寒さ」には「心」が凍えてしまいます。
 
なにしろ「記憶」が形成されない。
だから生きていても、
ただ何となく時間のみが流れ「オートドライブ」状態になってしまう。
 
・・・私は「心のないブリキの木こり」。
どうしたら「心」を取り戻せるのでしょう?
 
幸い、私には一緒に進んでくれる仲間達が現れました。
遅まきながら、この旅路を「一生懸命」生きて「心」を取り戻したいと想う次第です。
 
いざ、エメラルドの都へ!