勝手ながら背負わせていただいています。

2012年1月1日、私は鹿児島にある「知覧特攻平和会館」に行ってきました。
当時の私にはあまり時間がなく、
東京から飛行機で鹿児島まで行き、
レンタカーで「知覧特攻平和会館」まで行って、そして空港まで戻り、
その日のうちに飛行機で東京に戻るという弾丸一人旅でした。
 
昔、知覧には神風特攻隊の発信基地がありました。
そして今はそこに、若い命を捧げた特攻隊員達の遺書等が展示され、
毎年年中無休のこの会館に多くの人々が彼らの魂に触れようと押し寄せてくるのです。
私はもちろん戦争に反対する立場ですが、
彼らの「生」へのあり方や観念は、
イデオロギーに関係なく絶対にあなたの「心」を揺さぶります。
もしまだ行ったことがない人は、是非足をお運び下さい。
 
私は、この「知覧特攻平和会館」で大変な衝撃を受け、
3日間にわたって、このことを題材にしたブログを連続で描きました。
 
<2012年1月1日>
ブログタイトル「知覧特攻平和会館
<2012年1月2日>
ブログタイトル「日本という「国」は、今存在するのか?
<2012年1月3日>
ブログタイトル「勝手ながら背負わせていただきます。
 
私は、この「知覧特攻平和会館」にて、
慶応大学出身の上原良司大尉という22才の方が書かれた特攻前日の手記に出会いました。
その内容は驚くべきものでした。
撮影禁止の館内で、
私は他の見学者の邪魔にならないように
何度も何度もガラスケースと後ろのスペースを往復しながら、
自分のメモに彼の手記を必死に書き留めました。
あの時代に、22才という若さで、ここまでこの「世界」について洞察しているとは!
 
その内容は、上記1月1日のブログの最後に記載されています。
よろしければ、是非お読みください。
 
私は、彼の素晴らしい洞察をブログにて、今再び「世界」に発信させて頂いたのです。
 
そして私は、生きたくても生きられなかった彼の「人生」を勝手に背負わせて頂きました。
上記1月3日のブログは、その「想い」を描いたものです。
 
レンタカーで「知覧特攻平和会館」からの帰り道、
有料道路の料金所に二人の初老の男性がいました。
料金を払って発車しようとした時、ちょっと不思議なことが起きたのです。
 
その時、起きたことをそのまま描きます。
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一人の方が「あれ!ちょっと!」と、車の後ろの座席を見て私に話しかけようとしました。
そうしたら、もう一人の方が話しかけようとしている男性の肩をたたいて制止したのです。
そして、とても真面目な顔をして私にこう言いました。
「気をつけて」
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その時の出来事を、私は今でもとてもよく覚えています
 
この出来事に何を感じるかは、人それぞれだと思いますが、
私は勝手にこう感じたのです。
誰かを、連れてきたのかもしれない。
 
知覧特攻平和会館」に行ってからの「人生」。
私は時々、上原良司さんのことを想い生きています。
彼がもし私と共にいるとして、はたして彼に恥ずかしくない「人生」を送っているのか?と。
 
正直以降の「人生」も、彼に顔向けできない恥ずかしいことが多い時間を過ごしました。
 
しかし、今は違います。
「ご縁」で、新しい職場に出会い、
私はようやく彼に顔向けできる「人生」を歩み始めています。
限界に挑戦し、どんどん「成長」できている私の「人生」。
 
勝手に上原良司さんの「人生」を背負わせて頂き、
私は今、生きる喜びを感じ「人生」を生ききっています。
 
(以下の写真は、上原良司さんの写真ではありません。
 たまたま通りかかった記者が撮影した特攻前日の特攻隊員達の写真です。
 彼らの表情や笑顔を見ていると、とても明日特攻するとは思えません。)