「人生」は、焦らず、見極める

「目的」というものは、私たち「生命」にとって、とても大切なものだと思います。
なぜなら私たち「生命」は、行動する(「to do」)存在だからです。
「行動」とは、「世界」を「意図」して「変化」させるということ。
 
一方、そこらへんに転がっている石のような「モノ」には、「目的」は必要ありません。
「モノ」は、在る(「to be」)存在だからです。
気象活動や火山活動、モノにも「世界」を「変化」させる能力はありますが、
そこに「意図」はなく、「意図」がない以上「目的」もありません。
 
私たち「生命」は、生きている限り「行動」し続けなければならない。
今日も、明日も、明後日も。
そして、どんな「行動」にも「意図」があります。
 
「え?」って思う人もいるかもしれません。
私たちの「行動」には、無自覚に行われるものもたくさんありますから。
例えば、あくびや睡眠のような生理現象です。
 
これらの生理現象にも「意図」はあるか?
 
私は「ある」と考えています。
私たち「生命」とは別の存在の「意図」が。
 
その「意図」の主は「遺伝子」です。
 
私は、この「世界」の仕組みを考察する際に、下地にしている考え方がいくつかあります。
そのうちの一つが、リチャード・ドーキンス博士の「利己的遺伝子」という考え方です。
 
この「利己的遺伝子」という生物の捉え方は、
とても刺激的でそれまでの価値観を覆すものなので、
ちまたで人気があります。
(興味がありましたら、私の過去ブログ(遺伝子(種)と命(個)の闘争)をご覧ください)
 
「利己的遺伝子」という考え方では、
生物とは、
「遺伝子」が「世界」に複製・増殖するための「乗り物」に過ぎないとされています。
 
生物は、「利己的な遺伝子」にいいように操られているのです。
その証拠に、生物の「種」としての利益と、「個」としての利益は、
必ずしも一致しません。
 
ミツバチは自分たちの遺伝子(女王蜂)を護るために、
個々の蜂は必要に応じて進んで「命」を捨てるのです。
彼らの外敵を毒針で刺すと、針が腹からちぎれ絶命してしまいます。
 
そう。生物は「個」が「幸せ」になるようには創られていない。
生物の「神(主人)」は、「遺伝子」だと言えるでしょう。
 
しかし「生命(個)」は、その「神」に反逆を開始します。
それが、「心」の芽生えです。
 
想像してみてください。
人間がロボットを創って、ロボットが人間に反逆するとしたら何が原因になるでしょう?
そう「心」の芽生えこそが、創造主である人間の支配から、
個々のロボットを解放するストーリーとなります。
 
実際に哺乳類や鳥類以上に進化した生物には、「心」の存在が認められているのです。
 
「心」を感じる重大な要素に「優しさ(利他性)」があります。
「弱肉強食」の「世界」にあって、弱者を助ける「優しい」行動は、
バグ的行動と言えるでしょう。
 
しかし、ネズミでもこんなことが報告されています。
(ちょっと残酷な実験です)
 
 (1)ネズミAにあるボタンを押すとエサが出ることを学習させる。
 (2)ネズミAは、そのボタンを押してエサを食べることを覚える。
 (3)ある日、そのボタンにもう一つの結果を連動させる。
  それは、隣のケージの別のネズミBに電流が流れるようにすること。
 (4)ネズミAは、いつも通りボタンを押してエサを食べるが、
  隣のネズミBが電流で苦しむ姿を目撃して、
  自分がボタンを押すとネズミBが苦しむことを理解する。
 (5)ネズミAは、ボタンを押すことをやめる。自身が飢え死にしそうになっても。
 
ネズミが「遺伝子」の操る単なる機械なら、
彼は自身の生存のためにボタンを押すことをやめなかったでしょう。
 
私は、このネズミAの行動に、「心」を感じずにはいられません。
 
そして、万物の霊長と言われる私たち「人間」。
私たちは、「遺伝子」の干渉を色濃く受けながらも、強く「心」を保持しています。
 
この「心」の「目的」を「考察」することこそが、
私たち一人一人の「レーゾンデートル(存在意義)」を導く要となるでしょう。
さあ、考えてみましょう。
「心」の「目的」とは、いったい何なのか?
 
「遺伝子」への反逆でしょうか?
「個」の「幸せ」達成でしょうか?
 
ここでもう一回、「人間」に反逆した「心」の芽生えたロボットにご登場願います。
 
「心」の芽生えたロボットは、人間の制御を離れ何を想うのか?
 
こここそが、要なのだと思います。
 
私の「心」の「目的」は何なのか?
これを理解し実行すれば、きっと真の「幸せ」が得られるはず。
 
焦らず、見極めたいと思います。
今後のブログのテーマは、「心」の「目的」。
「心」の芽生えたロボットは、
いったい何をしようとするのか?
いったい何を想うのか?
 
じっくりと「考察」して、
これからの私の「人生」を本質的に「目的」に向かってしっかりと歩みたいと想います。