「雑草」の「生き方」に学ぶ

私は、「雑草」が好きです。
森や山にも行かずに、町で出会える彼ら。
 
「雑草」の図鑑を買って、
彼らの名前や生態を調べていると、
彼ら独特の「強み」や独特の「生きる」工夫が見受けられます。
 
それが、本当に面白い。
 
「雑草」と一括りにされ、
人々から名前も認識されていない彼ら。
しかし、彼らも伊達には生きていない。
それぞれに残されていた「強み」を活かして、必死に「生きて」います。
 
そう、「生きる」ということは、本当に面白い。
「人」に限らずあらゆる「生命」の「生きる」ということは、
本当に面白いと思うのです。
 
むしろ「人」以外の「生命」の方が、
シンプル故に「学ぶ」べきところは多いと思います。
 
ところで、「雑草」と他の名前の知られた草花の違いは何だと思いますか?
それは、「人間の役に立つか」どうかです。
 
食料にできる草花は、「野菜」と呼ばれます。
鑑賞に優れた草花は、「観葉植物」と呼ばれます。
 
それ以外は、全て「雑草」です。
 
人間の役に立つ「野菜」や「観葉植物」の生存戦略は、
その繁殖を人間に委ねるということです。
 
それも一つの「生き方」。
人に例えたら、
「社会」の用意した価値観に乗って生きる「生き方」かなと思います。
 
そして、人間に委ねずに生きる「雑草」という「生き方」。
そこには、「自力(じりき)」と「地力(じりき)」で生きる「知恵」があります。
 
生まれ持った独自の「才能」を活かした「強み」。
生まれ育った独自の「環境」を活かした「強み」。
 
「雑草」のように、
「社会」の中で「特別」の存在ではない私たち。
「特別」でない「命」が、どうあがき、どう生きるのか?
 
そのヒントは、
身近な懸命に生きている「特別」でない「命」の中に、
鮮明に見えてくるかもしれません。
 
私は、「世界」や「社会」や「皆」の「特別」にならなくてもいいかなと思います。
まずは、自分にとっての「特別」になれれば。
 
きっと「雑草」達も、自分を絶対の「特別」と認識して生きているに違いありません。