気づいたら「マッチ売りの少女」

寒い日が続いているせいか、
最近気づいたら「マッチ売りの少女」の話ばかりしているような気がします。

「マッチ売りの少女」に心惹かれる何かが、私の中にあるのでしょうか。
  
そういう、気になることが頭に残っているときは、
寝ているときもそのことを考えているようで、
朝起きた瞬間に私の中に「着想」や「解決策」が湧くことがあります。
 
夢日記ではありませんが、そういう「着想」はすぐ忘れてしまうので、
起床してすぐに、私はその「着想」に基づいて「ブログ」を描いたりしています。
 
さて今朝も「着想」が湧いたので、それを「ブログ」に描き留めたいと想うのです。
 
何が湧いてきたのか?
 
それは、自分にとっての「ブログ」が、「マッチ売りの少女」の「マッチの火」であったこと。
 
私は「心」が寒くなったら、いつも「ブログ」を描いてきました。
その「ブログ」という「マッチの火」の中に、
顔の見えない読み手との「つながり」を感じながら。
 
この「マッチの火」には不思議な力が宿っているようです。
 
例えばその「火」の中に、本当に人との「つながり」が見えることがあります。
東日本大震災の際に台湾の方からの支援を紹介して感謝する記事を描いたところ、
台湾の方から暖かいコメントを頂いたことがありました。
 
例えばその火の中に、素敵な「つながり」の物語が見えることもあります。
私はその着想に基づいて「優しい小説」を描きました。
 
私は自分に「孤独力」があると言っておきながら、
よく考えると描いている小説は「つながり」の小説ばかり。
(例えば、こんな小説です。『鬼子母神』
 
そうか。自分が本当に求めているものが何か、今改めてわかったような気がします。
 
 「つながり」
 
そうして私は「つながり」に恋い焦がれ求めるからこそ、
人の心に届くような「優しい小説」を描こうとするのかなと想う次第です。
 
私にとって、「ブログ」は「マッチの火」。
もうかれこれ530本のマッチを擦っています。
 
はたして、どんなに擦ったって「世の中」は無情なのか。
それとも、自分の「心」の中は「つながり」で満たすことができるのか。
もしかしたら、「世の中」に素敵な奇跡を起こすことができるのか。