「助けられない」ことの「恐怖」

また、とても生々しい夢を見ました。
 
時代背景は、戦前か戦後の日本。
私が生きてきた時代にはないような光景でした。
 
個人の夢の内容をダラダラ描いてもアレなので、端的に記載します。
 
場面は、ものすごい混沌とした雑居ビル的な建物。
やくざに追われた私の友人らしき人が、「かくまってくれ」と私を頼ってきます。
私がその友人をかくまおうとしたところ、やくざ達が建物の中に入ってきました。
慌てて友人を近くに隠し、
「ここには、そんな人はいない」と私はやって来たやくざに対応するのですが・・・・
 
友人の所有物を持ったまま対応してしまい、やくざにそれを見とがめられ、
友人はやくざに見つかってしまいます。
やくざに殴られた私は、そのまま部屋から閉め出され・・・
友人の悲鳴が扉の中から聞こえ、私はその場に居たたまれず、
その雑居ビル的な建物を後にします。
友人がそのまま殺害されてしまうという明確な予感を持ったまま・・・
 
ざっと、こんな感じの夢でした。
友人を助けられなかったことへの後悔や慚愧(ざんき)の念。
この感情の記憶がとても生々しく、まだ私の中に残っています。
 
 絶対的な理不尽から「助けられない」ことの「恐怖」
 
自身の「損得」で「人生」を考えろとか言うドライな人がたまにいますが、
こういった「助けられない」ことの「恐怖」を一度でも体験すれば、
そんなことは言ってられなくなると想うのです。
 
今の豊かな日本社会にだって、
今日の夢に出てきたような「理不尽」に翻弄されている人達はたくさんいます。
自分の家族や仲間達にはそういった人達はいないかもしれませんが、
目を向ければいくらだって苦しみの叫びをあげている人達がいるはずです。
なにしろ、1日に90人以上が自殺している現状ですから。
 
夢の中とは言え、「助けられない」ことの「恐怖」をありありと感じ、
自分の「生きる」意味を考えさせられました。
 
夢はすぐに忘れてしまうもの。
忘れる前に、私のブログに記録を残しておきます。