「怒り」の制御方法

「怒り」は、取り扱い要注意の危険物です。
下手をすると「爆発」したり、「蓄積」すると人体に有害だったりします。
 
「爆発」するとどうなるか?
自分の中の「心」の「闇」がさらけ出され、相手に飛散し、
対人や組織における「信頼」が大きく毀損します。
 
「蓄積」するとどうなるか?
自分の中の「心」の「闇」が自らを蝕み、ストレスを生み、
比喩でも何でもなく自身の体を毀損していきます。
 
こうやって見ていくと、
「怒り」取り扱い主任者という資格が欲しいくらい、「怒り」は危なっかしい存在です。
「人生」において、「怒り」をコントロールする方法を学ばなければなりません。
 
考えてみると、「怒り」は生まれたときからそこにある存在です。
 
赤ん坊の頃は、号泣して「怒り」を親に対処してもらいます。
「怒り」を「爆発」させることを覚えるのです。
 
少し成長すると、号泣しても「怒り」は親に相手にされなくなったり逆に叱られたりします。
「怒り」を「蓄積」することを覚えるのです。
 
そして「言葉」を使いこなせるようになった時に、新たな第三の方法を手に入れます。
それが「コミュニケーション」なのです。
子どもは「コミュニケーション」を通じて、親や兄弟との交渉を開始します。
 
そもそも「怒り」とは、自分の意に則さない状態に対する「不快」です。
そうであれば、「怒り」をいくら「爆発」させても「蓄積」しても、
状態は改善せず「怒り」の燃料は提供され続けます。
 
「怒り」を消火させる最も効果的な方法は、「コミュニケーション」による交渉なのです。
 
「コミュニケーション」を行うと、
自分の言い分が相手に伝わると同時に、相手の言い分も知ることができます。
これが重要なのです。
 
「コミュニケーション」により、相手の「心」と「感情」を知ると、
相手の「心」と「感情」が自分の中に流れ込み、
そこに「つながり」が生まれ、そこに「一体感」が生まれます。
 
そういった状態になって初めて、「怒り」は昇華されていくのです。
 
今まで「怒り」を「爆発」されてきた方、
今まで「怒り」を「蓄積」されてきた方、
第三の道を目指しましょう。
 
あと、第四の道もあると言えばあるような気がします。
自分と徹底的に「対話」を繰り返して、文章や絵や音楽を創作することです。
「作品」という「命」を生み出したときに、「怒り」は自分から巣立っていきます。