「心」の「対象」とする「生命」を増やす

今日は、最新のシリーズテーマである「苦しみ」や「困難」の乗り越え方について描きます。
シリーズ2回目です。
前回は、「書き出して解決策を探る」ことを「考察」しました。
 
今回は「心」の「志向性」という特性を利用して、
「苦しみ」や「困難」を薄める方法です。
(「志向性」のウィキペディアは、こちら
 
「志向性」とは、「意識」は常に「意識」の「対象」を持つということです。
「意識」がある時は、必ず何らかの「対象」が「心」のうちにイメージされており、
何かを判断するときには、必ず肯定または否定される「対象」が「心」のうちにあります。
愛においては愛され、嫌悪においては嫌われ、欲望においては欲望され、…というように。
 
「苦しみ」や「困難」を感じているときには、
必ず「苦しみ」や「困難」の対象が「心」の中に想起されています。
こういった時には、「心」の「対象」はネガティブを引き起こす源泉に注目しがちです。
ただ常にこの状態だったら、日常生活はできません。
 
例えばトイレに行きたいときには、
「ネガティブの源泉」は脇に置いておいてトイレを想起する必要があるからです。
トイレに行こうと思い立った瞬間、「苦しみ」は「心」から離れています。
 
ですからどんなに苦しいときでも、
「心」の「対象」は「ネガティブの源泉」以外にも頻回にフォーカスされている訳です。
そうであるならば、この特性を利用して「苦しみ」を時間的に希釈することができます。
 
どのように希釈するのか?
あえて、用事を創りましょう。
 
海や山に行って、美しい景色を見に行きませんか?
もっと仕事や勉強をできるようになるために、自分磨きをしませんか?
いつも頑張っている自分へのご褒美として、美味しいものでも食べに行きませんか?
 
このように何か新たな計画を立てると、
「心」の「対象」は「ネガティブの源泉」だけに囚われることがなくなるのです。
 
ただ、他のことに関心を移したくても、
生活の中に物理的に「ネガティブの源泉」が存在する場合は、上記手法が使えません。
例えば学校自体が苦痛なのに、毎日学校に行かなければならない時とかです。
 
そういう場合は、「苦しみ」を質的に希釈することが肝要だと思います。
例えば、学校に行く途中で出会う小鳥や雑草に「心」の「対象」を向ける。
そうすれば、学校のクラスメートの人数よりも多くの「生命」に出会えるでしょう。
 
そして、「心」の中でその「生命」達と会話する。
「一生懸命」生きている「生命」達の「あり方」は、
ピーンと張り詰めていて、そして誇らしげで、そして楽しげです。
そんなことができるのか?と思われるかもしれませんが、
「生命」達に関心を寄せれば寄せるほど、それは少しずつ見えてきます。
 
クラスメートが30人だとして、
30人中30人にネガティブな感情を持たれているとしたら、
それは本当に辛いことでしょう。
しかし「心」の「対象」とする「生命」を30から60に引き上げたら、
あなたの「苦しみ」は50%に希釈されます。
50%は「苦しみ」でないことを考えられるのです。
 
あなたが「意識」を向けていないだけで、無数の「生命」がそこには存在しています。
あなたはその「生命」達を、取るに足らないと考えているかもしれませんが、
「一生懸命」さにかけては、彼らは我々と同等のエネルギーを発している訳です。
 
クラスメートのことに関心を寄せるのも大切ですが、
もっと「視座」を高めて、「生命」全体という視点で「世界」を俯瞰をしたときに、
偏った「感情」に支配されることはなくなるのかなと思います。
 
微細でなく全体を眺めるようにするのであれば、
むしろ「生命」の「調和」や「美しさ」に想いが至るのかなと感じる次第です。