現時点の「幸せ」の定義

私は4年半、「幸せとは何か?」ということを「考察」しています。
 
それは、「家族と一緒にいるとき」とか、「仕事明けに美味しい牛乳を飲むとき」とか、
そういうパーツパーツを集めて全体を推察するという手法でなく、
もっと根本の「世界とは何か?」「自分(生命)とは何か?」というアプローチから、
俯瞰的に「幸せ」の「本質」を特定しようとする手法です。
 
ここに、私の現時点の「幸せ」の定義を描き記したいと思います。
ある程度の期間をかけて、
外部の「知恵」を取り入れ、ブログへのアウトプットを通じて自分なりに「吸収」し、
それらを私の「考察」に組み込んでいますので、
そんなに「的外れ」でもない定義にはなっているかなと、考える次第です。
 
まず、個人を3つに分解します。
それは、「遺伝子(Gene)」と「外部情報(Meme)」と「心・自我」です。
(「遺伝子(Gene)」と「外部情報(Meme)」については、過去ブログをご覧下さい)
 
個人の中に「遺伝子(Gene)」があることは、わかりますよね?
「生物」が進化する中で、脈々と受け継がれてきたバトンです。
ですから、「遺伝子(Gene)」は動物たちの中にも存在するものであります。
それは、「本能」や「生存のための欲」です。
もちろん、これらは人間の中にも存在します。
「遺伝子(Gene)」は、個人を操縦する者の一人です。
 
次に、「外部情報(Meme)」について説明します。
やはりこれも人間の要素として、不可欠です。
親や外部からの教育を受けなければ、人は人になることができません。
それを証明するのが、「チャウシェスクの落とし子」という悲しい実例です。
 
かつてルーマニアには、チャウシェスクという独裁者がいました。
チャウシェスクは、人口倍増計画を推し進める中で、国民の堕胎を禁止。
しかし国は深刻な食糧不足であったため、なんと10万人もの捨て子が出てしまったのです。
 
そういった孤児達は、国営の孤児院で育てられ「モノ」のように扱われました。
ほ乳瓶に入ったスープしか与えられず、
誰からも言葉をかけられることもなく放置されたままの状態にされたのです。
 
その結果、60%もの孤児達に行動障害や知能低下、歩行障害などが発生しました。
その子ども達は、外部の刺激に無反応になってしまったのです。
彼らには、喜怒哀楽という「感情」が全く欠落していました。
 
上記の例からわかる通り、
人が人になるためには、「外部情報(Meme)」が不可欠なのです。
 
しかし、「外部情報(Meme)」も人を操縦します。
ISISや日本の学力信仰、デマによる銀行の取り付け騒ぎがよい例です。
 
そして3つ目に、個人を構成する最後の要素「心・自我」を説明します。
この「心・自我」こそが、「幸・不幸」を感じている部分です。
そして、「私」そのものでもあります。
 
「心・自我」にとって「不幸」なことは、
個人の操縦者が「心・自我」の他に2人いることです。
 
「心・自我」がいつも、自分を操縦する舵(かじ)を握れる訳ではありません。
「遺伝子(Gene)」による「欲望」に乗っ取られたり、
「外部情報(Meme)」によって「自身に害のある価値観」を擦り込まれたり、
自分を操縦する舵を「遺伝子(Gene)」や「外部情報(Meme)」に奪われることが、
「不幸」という状態なのです。
 
ですから、「心・自我」を「遺伝子(Gene)」と「外部情報(Meme)」に埋没させずに、
「心・自我」をしっかりと自覚する必要があります。
そして、あくまで自分を操縦する舵からは手を離さずに、
同居人である「遺伝子(Gene)」と「外部情報(Meme)」ともうまくやっていくことが、
「幸せ」という状態だと、私は考える次第です。
 
「遺伝子(Gene)」と「外部情報(Meme)」を邪魔だからと言って、
排除することはできません。
「遺伝子(Gene)」と「外部情報(Meme)」と「心・自我」が、
三位一体となって人間なのです。
この世界で生きている間は、3者でうまくやっていくしかありません。
 
そのためには、
「遺伝子(Gene)」や「外部情報(Meme)」の良い面を活用することが重要です。
例えば、「美味しいもの」を食べて「幸せ」を感じる。
これは、「遺伝子(Gene)」がもたらす「食欲」の活用例です。
「食欲」に飲まれてしまったら「不幸」ですが、
「心・自我」のコントロール下で「食欲」を楽しむことは「幸せ」につながります。
 
同様に「外部情報(Meme)」の活用例は、
「偉人の自伝」を読んで何かに気づくとか、自分の必要に応じて「学問」を学ぶとか、
「名作映画」を観て感動するとか、「セミナー」に参加して「気づき」を得るとか、です。
「心・自我」が主体的に「情報」を取りに行くことで、
「外部情報(Meme)」を味方につけることができます。
 
・・・という訳で、
上記のような状態が「幸せ」であると、私は考える次第です。
これを読まれたあなたには、同意できる部分がありますか?
 
大事なのは、自分の中の「心・自我」の領域に気づき、
それが何を欲しているかを感じることです。
 
私は今日早朝に起き、朝日の昇る中30分ほどのジョギングをしてきました。
とても、気持ちよかったです。
最近ようやく、「心・自我」が欲していることをできるようになってきたと思います。
 
迷走を続けていた私という船は、
ようやく本来の目的地に向かって出航できるようです。