「世界」を解く鍵、「創発」

創発」という言葉を聞いたことがある人は、少ないかもしれません。
 
しかしこの言葉は、「世界」を説明する上で欠かせない言葉です。
創発」という概念を理解すると、「世界」の「本質」が見えてきます。
今回のお話は、知っておいて損はないお話です。
 
では、ウィキペディアから内容を追っていきましょう。
とは言え、ウィキペディアでの「創発」に関する説明は、とても難解です。
 
一緒に、見ていきましょう。

創発(そうはつ、英語:emergence)とは、
部分の性質の単純な総和にとどまらない性質が、全体として現れることである。
局所的な複数の相互作用が複雑に組織化することで、
個別の要素の振る舞いからは予測できないようなシステムが構成される。

いきなり、こんな説明です。
 
ちょっと、ここは一旦置いておいて、
先に「生物学における創発」の項に目を通します。

生命は創発現象の塊である。
例えば脳は、
ひとつひとつの神経細胞は比較的単純な振る舞いをしていることが分かってきているが、
そのことからいまだに脳全体が持つ知能を理解するには至っていない。

脳は、140億個の神経細胞で構成されていると言われています。
ご存知の通り、脳の働きは複雑怪奇。
われわれ人類はまだまだ、脳全体が持つ知能を理解するには至っていないのです。
しかし実は一つ一つの神経細胞自体は、比較的単純な動きをしています。
 
さて、その単純な動きをする神経細胞が複数集まったからと言って、
一つ一つの動きがわかっているのなら、
その全体の動きを捉えることも可能であると、私たちは考えがちです。
 
しかし、140億個の神経細胞が集まったとき、
神経細胞自体の単純な動きの範疇から逸脱した、予想外の動きが現れます。
それが、上記ウィキペディア
「部分の性質の単純な総和にとどまらない性質が、全体として現れることである。」
という解説文なのです。
 
なぜそんな不可思議なことが起こるかと言うと、
部分が複数集まると「相互作用」が発生するからだと説明されています。

局所的な複数の相互作用が複雑に組織化することで、
個別の要素の振る舞いからは予測できないようなシステムが構成される。

もう一つ生物学から、例を挙げましょう。
アリ塚を、ご存知でしょうか?
その大きさは、人の数倍にも達することがあります。

アリ塚は、数百万を超える数のシロアリが作る巣なのです。
 
しかし、1匹1匹のシロアリが皆で設計図を共有して協力して、
この巣を作り上げた訳ではありません。
1匹1匹のシロアリは単なる機械のように、
決まった刺激に決まった反応を返しているに過ぎないのです。
 
ですから私たちは、1匹のシロアリをつぶさに観察しても、
この壮大なアリ塚ができあがることを予測できません。
 
同様に、一つ一つの神経細胞の働きがわかったからと言って、
私たちの知能を解き明かすことは、不可能と言えるでしょう。
 
私は、このような現象を「宿る」とイメージしています。
単純な機能の神経細胞がたくさんたくさん集まっていくと、
ある日、一つ一つの神経細胞の機能からは全く予測できない新たな機能が「宿る」のです。
 
これらのことを、ウィキペディアでは、このように書いています。

下層の要素とその振る舞いの記述をしただけでは、
上層の挙動は実際上予測困難だということ。
下層にはもともとなかった性質が、上層に現れることがあるということ。

 
さて、この「創発」は、組織論でも活用されているようです。
ウィキペディアによりますと、

組織をマネジメントする立場からは、
組織を構成する個人の間で創発現象を誘発できるよう、
環境を整えることが重要とされる。
一般的に、個人が単独で存在するのではなく
適切にコミュニケーションを行うことによって個々人の能力を組み合わせ、
創造的な成果を生み出すことが出来ると考えられている。

という風に説明されています。
一人でできることには、限界があるということですね。
しかしそれは、単純に量的な意味に留まりません。
人が複数集まると、
常識では考えられないような奇跡を実現することが可能なのです。
 
そして「創発」は、教えてくれます。
そのためには、「つながる」ことが必要であると。
 
単に人が100人集まったって、それでは予想外の奇跡は起こせません。
創発」のためには、「相互作用」が必要なのです。
100人がお互いに信頼してつながりあって初めて、その組織全体に「魂」が宿ります。
 
細胞をイメージしてください。
胃の細胞一つでは、何もできません。
しかし胃の細胞が集まって相互作用して、胃という臓器を形成したときに、
そこに新たな意味のある「機能」が宿るのです。
 
私たち人類は、粘菌のように個々がもっともっとつながりあう必要があるように思います。
そうすれば、人類全体でものすごい「何か」を実現することができるかもしれない訳です。
 
その「何か」とは「愛」の体現である、なんて言ったら、
少しロマンチスト過ぎるでしょうか。