「アドラー心理学」における「信用」と「信頼」

先日から、
「嫌われる勇気」というベストセラー書籍の内容のご紹介をしています。
フロイトユングと並び、心理学の3大巨頭と言われている
ルフレッド・アドラーの思想を対話形式でわかりやすく解説している本です。
(「アドラー心理学」のウィキペディアは、こちら
 
私は職場の同僚から、この本を紹介してもらいました。
読んでみて、目からウロコです。
今までの生き方がなぜ苦しかったのか、この本を通じて整理できました。
 
「嫌われる勇気」岸見一郎、古賀史健著(ダイヤモンド社
 
「人生」に苦しんでいる方には、この本をオススメします。
きっと何か得られるものが、あるはずです。
 
さて「アドラー心理学」では、全ての悩みは「対人関係」から生じるとしています。
そして、「対人関係」に関する具体的な処方箋を提示しているのです。
この処方箋が、既存の思い込みを破る斬新な発想となっています。
「対人関係」に対する思い込みの断絶にこそ、
アドラー心理学」の真価があると私は考える次第です。
 
具体的な処方箋に従って「対人関係」のタスクを乗り越えて、
目指す「対人関係」のゴールは「共同体感覚」だと、
アドラー心理学」では説いています。
「共同体感覚」とは、「ここにいていいんだ」という感覚です。
 
言われてみれば、私もずっとこれを探し求めていたと感じます。
私の探求してきた「つながり」は、まさにこの感覚なのです。
 
さて、この「共同体感覚」を手に入れる方法をここでは全て説明しません。
気になる人は、上記書籍を読んでみて下さい。
具体的に丁寧にわかりやすく書いてくれています。
 
今回のテーマは、
その具体的な処方箋の一つとして挙げられている「他者信頼」のお話です。
 
アドラー心理学」では、
「信用」と「信頼」を使い分けています。
「信用」とは、銀行からの借入をイメージするとわかりますが、
「担保」や「何か評価するもの」があるから信じますという条件付きの姿勢です。
対して「信頼」は、
他者を信じるにあたって一切の条件を付けないという態度を指します。
 
「ここにいていいんだ」という「共同体感覚」を得るには、
他者を「信用」するのでなく、無条件に「信頼」することが必要なのだそうです。
 
貸出をする銀行のことをイメージしてもらえばわかりますが、
「信用」は相手を「懐疑」している状態を指します。
相手を疑っているから、担保を出せ、保証人を付けろ、と言ってくるのです。
対して「信頼」は、真逆の状態を指します。
相手を一切「懐疑」しない姿勢。これが「信頼」です。
 
「そんなお人好しのことをしていたら、相手に裏切られてバカを見るんじゃないか?」
 
多くの人は、そう感じると思います。
 
しかし、それは相手側の問題だとするのが「アドラー心理学」の考え方です。
アドラー心理学」では、裏切られることよりも、
「人間関係」に「懐疑」を持ち込むことの弊害を重視しています。
 
例えば恋愛関係において、
「相手が浮気しているかもしれない」と疑念を抱いたとき、
自分と相手の関係はどうなるでしょうか?
 
相手の何気ない言動、誰かと電話で話しているときの口調、連絡がとれない時間。
気になって気になって、仕方なくなります。
 
お互いを結ぶ素晴らしい「つながり」の「糸」が、
一瞬にしてお互いを縛り傷つける「有刺鉄線」に変わり果ててしまうのです。
 
相手が自分を裏切るかどうかは、自分のコントロール外。
せめて自分からは、このつながりの「糸」を「有刺鉄線」に変えない。
こういう考え方も、ありだと思います。
 
そして、もし本当に相手が裏切ったら、
その「有刺鉄線」のままでつながっていたいか、自問自答する必要があるでしょう。
 
アドラー心理学」では、無条件に「信頼」することを最初から恐れていたら、
結局は誰とも深い関係を築くことができないとしています。
 
これには、私も同意です。
最初から「有刺鉄線」で相手とつながろうとしても、そんな「つながり」は成立しません。
 
10人信頼して、9人に裏切られるかもしれない。
それでも、一人だけでも真の「つながり」を構築することができたのなら、
その「人生」は上々だと、私は想うのです。
 
私は、昔からマザーテレサを尊敬しています。
ですから、苦しんでいる人、困っている人、を助けたいと強く願っているのです。
(私の対人に関する基本スタンスについては、自作小説「優しい唄歌い」をご覧下さい)
 
私は、複数の人に金銭的な支援をしたことがあります。
もちろん「借りる」という名目でお金を貸したのに、
今時点で「お金」を返さない人も複数人いることは事実です。
いつか連絡をくれて返してくれるかも知れないし、
そもそもあげるつもりでお金を渡したので、
私の中では、そのことが「有刺鉄線」になっていません。
もちろん道を歩いている人に、
急にお金を貸してくれと言われてお金を貸す訳ではありませんが、
「縁」があって一緒に仕事をしている人から頼まれたら、
私はその人を「信頼」するのです。
 
そういった支援をしてきた人の中で、
今時点で私と素敵な「つながり」を持ってくれる人もいます。
その人から、昨日メールを頂きました。
細かいことは省略しますが、
「お陰様で、数十年ぶりにお母さんとゆっくり幸せな時間を持てた」とのこと。
 
そのメールを見たとき、私は本当に嬉しくなりました。
「本当によかったな・・」って想ったんです。
「心」が何かに満たされて、涙が出てきました。
 
その人は昔小学生の頃、お母さんにパンを作ってもらっていたそうです。
しかし、その頃からしばらくして、経済的制約が重くのしかかってきます。
その人は身を粉にして働いて、ずっとずっと大切な人達を護ってきたのです。
私は、その人と「縁」があり、知り合いました。
そして、その人の内面に触れて、その人を「信頼」したのです。
 
今度その人の家に行って、お母さんの作ったパンをご馳走になります。
その人は相変わらず、家族を支えるために仕事仕事で、
その日も3時間くらいしか会えませんが、
それでもその3時間は、私の中の素敵な宝物になるでしょう。
 
「信頼」のお陰で、私は本当に大切なものを手に入れました。
 
あなたにとって、「人生」で本当に大切なものは何ですか?
「これのために生きているんだ」という大切なものを見つけたのなら、
迷いを取り去って、それを得るために突っ走ることが重要なのかなと想います。
 
「欲」でもなく「周囲の声」でもなく、自分の「心」が本当に欲するもの。
それを手に入れるために、私達は生まれたのかもしれません。