怪人「のっぺらぼう」

私は「のっぺらぼう」です。
 
「のっぺらぼう」には、顔がありません。
だから、不気味です。
人は顔があるから、「あの人は、こんな人」って識別できるのに、
顔がないと、その人が笑っているのか怒っているのか悲しんでいるのか、わかりません。
 
顔がなければ、
「もしかしたら、あの人は怒っているのかもしれない」
「もしかしたら、こちらをにらみつけているのかもしれない」
という相手の勝手な想像も許してしまう訳です。
 
そして時が経てば、「のっぺらぼう」は人から怪人として怖がられるようになります。
人から怖がられるようになったら、おしまいです。
怖がられている状況で人同士のつながりは、絶対に成立しません。
その時、その「のっぺらぼう」の「心」が笑っているのか泣いているのか怒っているのか、
私にはわかる気がします。
なぜなら、私も「のっぺらぼう」だからです。
 
私は「本音」を出すことができません。
「本音」を出すことに罪悪感を感じてしまうのです。
 
しかし「本音」を出さないことは、
組織の中に一人「のっぺらぼう」がいる状態を生み出してしまいます。
それは、なんとも不気味なことです。
 
「本音」を出せないということは、
その人がどういう人間か、判別できないということ。
その人が、笑っているのか怒っているのか悲しんでいるのか、全くわかりません。
顔では笑っているけど、腹の中では怒っているんじゃない?という想像も、
普通に成立する訳です。
 
「本音」を見せない人は、
大抵「あの人は、大きな怒りを隠している」という疑義をかけられます。
なぜなら、普通一般に隠すとしたら、ネガティブな「怒り」の感情だからです。
 
「あれだけ必死に隠しているんだから、きっととても大きな「怒り」を隠しているのだろう」
という推察がなされることは、
とても自然なことだと思います。
 
本当は、「怒り」の他にも、「喜び」も「悲しみ」も一様に出せない、
欠陥体質なだけなんですが。
 
「のっぺらぼう」を殺すには、刃物はいりません。
いかにもそれらしい噂をばらまけばOKです。
 
「あののっぺらぼうは、この前人を襲っていたぞ」
そんな噂が流れれば、「のっぺらぼう」は怪人として、めでたく駆除されるでしょう。
 
「のっぺらぼう」が生き残るには、どうしたらよいか?
 
「私は、そんな人間じゃありません」と連呼しても、
それに効果がないことは、私の経験から明らかです。
 
地道に少しずつ、
「嬉しい」「怒っている」「悲しい」「楽しい」という気持ちを表現できるように
なるしかありません。
 
「のっぺらぼう」は、自分の「心」を大切に抱きしめて、
まず自分が人間の「心」を持っていることを、周囲にわかってもらう必要があるのです。