「心」の筋力は、どのように強化するか?

ご存じの方も多いと思いますが、
筋肉を増強するには、筋肉に負荷を与えることが必要なのだそうです。
筋肉を増強させるための負荷には、
カニカルストレスとケミカルストレスの2種類があります。
 
カニカルストレスとは、物理的な負荷のことです。
例えば筋トレでは、
重たいウェイトを上げ下げして筋肉を損傷させます。
そして自分の体の治癒力で損傷部位が回復する際に、
1本1本の筋繊維が前よりも太くなる訳です。
物理的に筋繊維が破壊されるので、筋肉痛が起こったりします。
 
一方ケミカルストレスは、
筋肉に乳酸を溜めたり、酸欠状態にしたりするような、
筋肉への化学的な負荷のことです。
これは、加圧トレーニングやスロートレーニングに代表されます。
ケミカルストレスでも筋肥大が生じることが研究結果として報告されており、
筋肉痛が起きないトレーニング方法として今注目されているようですね。
 
さて目に見える筋肉は、上記のように強化方法が明らかになっています。
では目に見えない「心」の筋力は、どのように強化すればよいのでしょうか?
 
その方法については、もちろん公式の研究結果などありません。
様々な提唱は世の中にたくさんありますので、
それらを参考に自分で試行錯誤しながら、
「心」を強くしていくしかない訳です。
 
筋肉と同様に、
「心」も痛めつけることで強くなるのではないかと、私は考えています。
「心」にメカニカルストレスを与えるのです。
この場合、鍛えるための重たいウェイトが必要になりますね。
 
何が「心」へのウェイトになるかと言うと、
それは社会から受けるストレスと考えるのが妥当でしょう。
 
つまり社会に適合していない人ほど、
重いウェイトでトレーニングを積んでいるということになります。
しかしあまりにも重すぎるウェイトでトレーニングしようとしても、
「心」がバキバキ折れすぎて、「心」の自然治癒が間に合わず、
鬱になり、トレーニングどころではなくなってしまう訳です。
 
社会は高度化して複雑になり、
社会から求められる個人の機能も高度化してきています。
そういう意味ではもしかしたら、
現代人にかかる「心」のウェイトは、
昔よりも大きくなっているような気がするのです。
 
このウェイトは、時代と共に重くなってきています。
一体人類は、何に向かって、そんなにストイックにトレーニングを続けるのでしょうか?
自分自身を、こんなに痛めつけてまで。
 
という訳で、従来のメカニカルストレスだけでは、
「心」の筋力をつけるどころか、
本人がつぶれてしまう可能性も出てくるのです。
 
しかし「心」の筋力が弱いからと言って、
社会はウェイトを軽くしてくれません。
なかなかスパルタなトレーニングジムです。
 
カニカルストレスによる「心」の強化に限界が見える今、
ここは一つケミカルストレスを試すときなのだと想います。
 
「心」の筋肉にとって、ケミカルストレスとは何か?
筋肉痛を起こさずに、「心」を強くする要素のことです。
 
「瞑想」や「禅」を、まず思いつきました。
筋肉を酸欠状態にすることで筋肉を強化するように、
「心」が欲する外部情報を遮断することで、「心」の自然治癒を促すのです。
 
後は、「断捨離」とか「定期的な運動」とか。
物理的に「心」を破壊する負荷ではなく、
意図的に「心」に適度な負荷を与える訳です。
「断舎利」とか「定期的な運動」は、確かに「面倒くさい」ですが、
そのウェイトは自分でコントロールできます。
有無を言わさずキャパオーバーしたウェイトを渡してくる実社会とは違うのです。
 
筋肉に疲労物質である乳酸を溜めることで、筋肉が強化するように、
「心」に「面倒くさい」を与えることで、「心」は強化するように思います。
「面倒くさい」も「心」にとって負荷となりますが、
外部から与えられる「心」を損傷させるようなストレスに比べたら、
「心」に優しい負荷だと言えるでしょう。
 
例えば私は先日、職場の上司に勧めて頂いて、自分の部屋の「断捨離」を行いました。
やり終えた後、少し自分に自信がついて、少し「心」が強くなったような気がするのです。
「面倒くさい」という「心」の負荷を乗り越えたからこそだと思います。
 
重要なことは、筋肉と同様に、
「心」を意図的に強くする方法があるかもしれないということです。
レーニング方法がわかったのなら、すぐに取りかかるべきだと考えます。
 
なぜなら、情け容赦ない外部のストレスに対応できる強さを身につけることが、
何よりも「人生」を「幸せ」にすることなのですから。
 
レーニングなら、ウェイトも自分で調整できます。
まずは簡単な「面倒くさい」から初めて、
段々と重い「面倒くさい」にも対応できるようになるのです。
 
この考えは育児にも適用できると考えます。
様々な習い事も重要ですが、
まずは社会で生きていくための「心」の強さを基礎体力として養う必要があるのです。
子どもに少しずつ「面倒くさい」を与えていって、
簡単には「心」折れない力を身につけるようにします。
「面倒くさい」をあまり乗り越えてこなかった子どもの「心」は脆弱です。
私のように。
 
まあ、でも方向性は見えました。
私はこれから、「面倒くさい」という「負荷」を少しずつ自分の「心」に与えて、
自分の「心」のトレーニングを図っていくつもりです。
 
それはもう、精力的に間断なく継続していきます。
自分がこの先、生き残るためには、必須のトレーニングだと認識している次第です。