「関心」に「感謝」しよう

長い時間生きてきて、
それもあまりパッとしない「人生」を生きてきて、
最近大きな壁にぶつかって、
そして気づいたことがあります。
 
それは、
自分の内面に「関心」を持ってもらうということが、
どれだけ有り難いことか、ということです。
 
様々な人間関係に傷ついたとき、
相手の人間に共通することが見えてきました。
 
それは、彼らは一様に、自分に対して「無関心」なのです。
 
例えば、昔いじめにあったとき。
私がどんなに傷ついていても、傷ついている私のことには「無関心」のまま、
いじめは続行されます。
 
例えば、私が相手の行動に怒ったとき。
私が怒っていることを、無視する人がいました。
その人は、私の内面に興味がないんでしょうね。
相手の内面を無視することを「見下し」と言います。
 
でも「無関心」や「見下し」は、この世の中で普通のことです。
 
歩いている人が、道ばたの雑草に目を向けることができないように、
全ての人の内面に「関心」を持つことなんてできません。
 
だからこそ、そんな「無関心」が当たり前の世の中で、
自分の内面に「関心」を持ってくれる人は、「有り難い」のです。
そういう人と出逢えた「ご縁」には、素直に感謝しないといけません。
 
この道ばたに転がる石ころや砂粒のような存在の自分に
「関心」を持ってくれることの有り難さ。
長い間生きてきて、私はそこにようやく気づきました。
 
私から観て、「関心」を持って頂ける人が、「世界」の全てです。
「無関心」の人とは、絡みようがない訳ですから。
 
この「人生」を生き抜くためには、
人から頂く「関心」の暖かさを糧にすることが必要です。
自分に対して「無関心」な人に、自分が「関心」のフォーカスを向けてしまったら、
その人の「無関心」の冷たい波動から、生きるエネルギーを奪われてしまいます。
 
「生命」は、「関心」でつながるのです。
そして「関心」のつながりが、自分にとって「世界」の全てなのだと想います。
 
あなたは道ばたの野良猫が自分を見たとき、「幸せ」な気分を感じるはずです。
それは、野良猫という「生命」が、
あなたに「関心」というエネルギーを向けたからです。
 
私は、これから自分の「人生」を生き抜くために、
「関心」というエネルギーの「有り難さ」を、
「心」の底から理解しようと決心しました。
 
人が生きるためのエネルギーとして、
「関心」こそが、「心」を動かすエネルギーです。