「足場」を見つける

ちょっと最近まだ苦しくて、
いつものブログ記事でなくて、ごめんなさい。
 
水泳で言えば、溺れているような状態。
足下の立てる地面を見つけるか、
自力で泳ぐ状態に持っていくか?
 
ただ、溺れている状態から、
自力で泳ぎ出すのは至難の業のようにも想う。
 
足下の立てる地面を見つけるしかない。
 
今まで必死に泳ぎだそうと、もがいていたけど、
それは苦しいだけ。
 
まずは、「足場」を見つける。
  
「足場」は、どんな状態にあったって絶対にあるもの。
 
それは、おそらく「自己愛」なのかなと想う。
 
自分にとっての大地。
それが「自己愛」。
 
今まで、私は地面に足をつけていなかった。
ただただ、必死に犬かきをしていた。
不安で心が一杯になりながら、必死に。
 
しかし、それでは疲れてしまう。
 
そろそろ、自分にとっての「足場」を見つけよう。
 
「自己愛」?
自分を愛するだって?
 
こんな今の自分を愛せる訳ない。
 
だから、無条件に愛せる子どもを自分の中に創ろうと想う。
 
私は、子どもが好き。
実際、子どもにも懐いてもらえる。
 
だから、自分の中に、子ども時代の自分を創る。
そして、その子を愛そうと想う。
 
実際に自分の子ども時代、どれほどの愛をもらっていたのだろうか?
私には、子ども時代の記憶がほとんどないので、わからない。
 
ただ言えることは、今はちゃんと自分が、子ども時代の自分を愛してあげられる。
 
「心」の中に、子ども時代の自分をイメージする。
 
その子を抱擁する。
もう、大丈夫だよって。
 
「足場」を見つけよう。
大地に、しっかりと立とう。
 
そうやって、「溺れる心配はないんだ」と「心」の底から安心してから、
もう一度泳ぎだそうと想う。
 
今度は、ちゃんと足が着くことがわかっているから、
きっと楽しみながら泳ぐことができると想うんだ。
 
その時には、子ども時代の自分もきっと笑顔になっている。