「自己愛」には「領域」が必要

最近、同じような内容になっている感がありますが、
自分の中の価値観のターニングポイントを迎えているような気がするので、
少し深掘りしていきたいと思います。
 
今日のお話も、「自己愛」についてです。
 
なんか最近、自分をようやく愛せるようになってきました。
迷いが晴れたような感じがするのです。
 
それは何故だろう?と考えるのですが、
自分なりに生きる領域を見つけたからなのかなと推測する次第です。
 
私の生きる領域は「優しさ」。
 
「能力」や「魅力」では、ありません。
「能力」や「魅力」は、私の主軸ではないのです。
 
今まで、「能力」や「魅力」がある人を散々羨ましいと感じてきましたが、
私が羨ましいと感じていた人が、
必ずしも十分な「優しさ」を持ち合わせていないことに気づきました。
 
もちろん、「能力」や「魅力」も素晴らしい資質です。
それを与えられた人は、それを活かした「守備範囲」を任されているんだと思います。
 
だけど「優しさ」も、「能力」や「魅力」に負けないくらい素敵な資質です。
世の中には、私なんかよりも優れた「優しさ」を持つ人はたくさんいますが、
「優しさ」の重要性を理解している私の「守備範囲」は、
やはり「優しさ」であろうと考えます。
 
今の競争社会の日本では、「能力」や「魅力」が注目されがちです。
私も「能力」や「魅力」を持っていたら、
「優しさ」は捨てて、そっちの方に走っていたと想います。
 
しかし幸いなことに、私には「能力」や「魅力」がなかった。
そうして苦しんで苦しんで、ようやく「優しさ」の価値に気づいたのです。
 
「能力」や「魅力」が偏重されるこの社会で、
「優しさ」は希少価値すら有します。
 
私は、「優しさ」を大切にする自分のことが好きです。
自分の価値に気づいたから、というよりは、
「優しさ」の価値に気づいたから、私は「自己愛」を持てるようになりました。
 
自分を愛するのに必要なこと。
 
それは、自分が「どこの住人なのか」気づくことだと思います。
「能力」の住人なのか、「魅力」の住人なのか、「優しさ」の住人なのか。
 
自分の「領域」を見分ける方法はいくつかあると考えます。
例えば、その「領域」において、
自分より優れた人がいたとしても、
嫉妬を感じずに、素直に相手をリスペクトできるとしたら、
それがあなたの「領域」であり「守備範囲」なのではないでしょうか。
 
その「領域」では、あなたは「水を得た魚」のように、
自由に呼吸し生きることができる。
傲慢になることもなく、劣等感に苛まれることもなく、
あなたはあなたのまま、その水の中で思いっきり生きることができる。