道に倒れて誰かの名を呼び続けたことがありますか

今日のブログタイトルは、
中島みゆきさんの「わかれうた」の歌詞の出だしです。
私は、中島みゆきさんをリアル「優しい唄歌い」だと思っています。
 
あの名曲「ファイト!」の成り立ちをご存じでしょうか?
「ファイト!闘う君の唄を、闘わない奴等が笑うだろう。」という歌詞のフレーズを、
覚えている人も多いと思います。
あれは、ラジオのリスナーから届いた真剣な悩み相談に、
みゆきさんが真剣に応えようとして、それが唄となったものなのです。
もしあなたが「ファイト!」を聴いたことがなかったら、是非一度唄を聴いてみて下さい。
絶対に、あなたの苦しいときに護ってくれる唄になります。
(関連過去ブログ:この世界に実在する「優しい唄歌い」
 
さて、今回のブログタイトル。
 
「道に倒れて誰かの名を呼び続けたことがありますか?」
 
「わかれうた」という名曲の歌詞の出だしです。
このフレーズは、私の「心」にずっしりと残っています。
おそらく、この唄を一度でも聴いた人ならば誰でも、
「心」に刺さって忘れないフレーズではないでしょうか。
 
「道に倒れて誰かの名を呼び続けたことがありますか?」
 
多くの人は、子どもの頃、道ばたで転んだり、駄々をこねたりして、
先を歩いている母親(や兄や姉)に、「待って」と泣いて頼んだことがあると思います。
しかし成長して、自分が子どもでなくなった時、
それでも助けを呼べる誰かは存在しますか?
 
私には、ずっと存在していませんでした。
でも、それが普通なのだと想います。
 
そんなに簡単に、
母親や肉親と同様なくらい特別に自分を助けてくれる人なんて現れないからです。
これは、恋愛関係だけでは達成できません。
もっと更に醸成された「心」のつながりが必要です。
 
「道に倒れて誰かの名を呼び続けたことがありますか?」
 
多くの場合、誰かの名を呼び続けても、誰かが振り返ることはありません。
子どもの頃のようには、いかないのです。
 
だから、この歌詞は私達の「心」にずっしりときます。
そしてこの歌詞は、「生きる上で本当に大切なものは何か?」と、
あなたに突きつけるのです。
 
あなたが大金持ちだったり、魅力的な容姿を持っていたら、
それを目当てに助けてくれる人はいるかもしれませんね。
でも、そういった人達にかけられる「言葉」に、
あなたは本当に「心」救われるのでしょうか?
 
あなたは「道に倒れて呼ぶ誰かの名」を持っていますか?
 
私は、ずっと持っていませんでした。
だから一生懸命「道に倒れた誰かを助ける側の人」になろうとしたら、
幸いにも「道に倒れて呼ぶ誰かの名」を持つことができました。
 
私も相手も、その「重み」を知っているのです。
「道に倒れること」の苦しみと、
そんな世の中でも「助けてくれる」人の本当の有り難さを。
 
私や相手にとってその有り難さは、この世のどんな財宝にも勝ります。