「モヤシ」は燃えているか?

身近な食材「モヤシ」。
あなたは、この「モヤシ」にどのようなイメージを持っていますか?
 
私は、「もやしっ子」のイメージが強いです。
ヒョロッとした色白の不健康なイメージ。
必要要素の欠落。
 
確かに「モヤシ」は、光の少ない薄暗い部屋で栽培されます。
そんな劣悪な環境下にあって、
「モヤシ」はヒョロヒョロと色白の細長い芽を伸ばす訳です。
 
しかし、このような状態にあっても、
「モヤシ」は希望を捨ててはいません。
 
むしろ逆境において、彼らはより「闘志」と「命」を燃やしているのです。
彼らは、持てる全生命エネルギーを、背丈を伸ばすことに投入します。
見た目なんか、気にしないのです。
植物本来の緑色になることも放棄して、彼らは「生きる」ことを追求します。
 
そして、いつか暗闇を突破して、「光」に到達してやろうと意気込んでいる訳です。
 
私がもし「モヤシ」だったら、途中でへたれこんでしまうと思います。
「ああ、こんな環境に生まれたのが運の尽き。
 無駄な足掻きはやめて、おとなしく枯れるのを待とうか・・・」
 
環境に対する「覚悟」や「備え」は、動けない植物の方が、
動ける動物よりも一枚も二枚も上手(うわて)です。
動物は、よりよい環境を求めて移動することができますから。
植物は、そこに根を張り、そこに葉を茂らせ、そこに花を咲かせるしかないのです。
 
ウィキペディアによりますと、
「モヤシ」に漢字を当てはめると、「萌やし」となります。
「萌やす」が「発芽させる」の意であり、その語尾が変化した形です。
ちょうど「鰹のタタキ」が、
「たたく」→「タタキ」になったのと同様の語尾変化になります。
「萌やし」と漢字表記すると、ちょっと可愛らしいですね。
 
さて私は、「モヤシ」に「燃やし」という漢字を当てたいと考えています。
彼らの「生き」ようとする、その「命」の燃やし方に、敬意の念を抱くからです。
 
今後「モヤシ」を食べるときには、彼らの「生きる」覚悟も一緒に頂こうと想います。
そして願わくば、どんな環境下にあっても、
折れずに天に向かって真っ直ぐ「生きる」覚悟と力を、手に入れたいのです。