「心」の「デトックス」

「口は災いの元」と、よく言います。
 
私の場合、これで失敗することが多いです。
 
中には、私の「表現」が稚拙で、誤解を生んでしまい、
信頼を失ってしまうこともあります。
 
違うところにぶつけたい「怒り」が、
思いもかけない人を傷つけてしまうような。
 
もちろん発信者である私の「心根」が悪いということも、あります。
 
そういう未熟な私が、
「怒り」という取扱注意の「感情」を表現するのは、
まだよした方がいいような気がするのです。
 
そういう意味では、きちんと「主張」できる人って、すごいなぁと思います。
「主張」の裏には、やはり「怒り」があると思うんですよね。
しかし、その「怒り」を爆発させるのではなく、
相手に伝わるようにきちんと「表現」して、ちゃんと相手に自分の意思を伝えています。
 
どうやら「主張」するには、「熟練」した表現力が必要なようです。
 
日本人は「主張」が苦手だとよく言われますが、
そこには、高い表現力を要する「主張」の扱いにくさがあるからだと思います。
 
しかしずっと「主張」せずにいたら、
「怒り」の「感情」は蓄積して腐敗して有毒ガスを出してしまうのです。
 
便秘が何ヶ月も続いたら、どういう影響が体に現れるのか?
それを想像したら、「怒り」を溜め続けることの危険性をイメージできると思うのです。
 
「主張」が苦手な日本人は、「愚痴」という文化を生み出しました。
しかし「愚痴」もなぁ・・・って思うんです。
自分の至らなさ込みで「愚痴」を親身に聴いてくれる人でないと、
そのうち煙たがられて、自分から離れて行ってしまうような気がします。
 
「心」の「デトックス」は、結構難しいのです。
 
私は、「心」の「デトックス」には、3系統あるのかなと考えます。
(1)自分で処理する方法。
(2)第三者に聴いてもらう方法。
(3)「怒り」の原因となる人に、直接伝える方法。
 
(1)は、「逃げ」でなく「処理」です。
だから、アルコールとかギャンブルとか、目をそらすようなものではダメだと考えます。
思い浮かぶのは、運動とか瞑想でしょうか。
私は、過去に瞑想を学んだことがあるので、それを積極的に実践しようと思います。
 
(2)は、自分の至らなさ込みで受け入れてくれる相手が必要です。
幸い私にはそういった人がいるので、辛いときはその人を頼ろうと想います。
自分の至らなさを許容していない人に「愚痴」を話すと、相手に迷惑がかかります。
「愚痴」は、「心」の未熟な部分の具現です。
許容していない人に話す愚痴は、自らの信頼を失わせていきます。
 
(3)は、いつかできるようになりたいです。
やってはいけないのが「爆発」。
本来、その「怒り」は特定の相手に伝えるものなのに、
自分のブログでそれを「表現」したら、多くの人が「爆発」に巻き込まれてしまいました。
無関係な大切な人まで巻き込む「爆発」は、テロそのものです。
「怒り」の処理にあたって最もやってはいけないことを、
私は先日やってしまいました。
本当は「怒り」の対象者のみに、直接自分の気持ちを伝えれば済んだ話なのに。
 
ただ、相手に自分の気持ちを伝える「表現力」。
これがなければ、直接相手に「主張」する方法は採れません。
今の自分の「表現力」でそれが可能なのかどうか、十分に自問自答したいと想う次第です。
それと相手と「本音」でぶつかる勇気が必要となります。
 
この「本音」を伝える技術をどう養っていくのか?
今後このブログでも、検討していきたいと思います。
これはきっと、「幸せ」に直結する重要なテーマです。
 
生きている以上「心」には、必ず何かが蓄積していきます。
「体」の「デトックス」も大事ですが、
「心」の「デトックス」が今後重要になっていくと、私は予想する次第です。