「愛」って言葉、使いこなしていますか?

「愛」という言葉を使うと、日本人は何か気恥ずかしさを感じます。
 
そもそも日本人は「愛」という言葉を、昔から使っていたのでしょうか?
 
またまた、ウィキペディア先生に頼ります。

日本の古語においては、「かなし」という音に「愛」の文字を当て、
「愛(かな)し」とも書き、相手をいとおしい、かわいい、と思う気持ち、
守りたい思いを抱くさま、を意味した。
近代に入り、西洋での語義、すなわち英語の「love」やフランス語の「amour」などの語義が
導入された。

 
古来の日本においては、「いとおしい」「かわいい」が「愛」の意味だったんですね。
今は、「かわいい」の意味は「愛」という言葉から追い出されてしまいました。
「愛」という言葉は国際化して、「Love」と同義の言葉になりつつあるようです。
 
その代わり「かわいい」は「KAWAII」として、世界に輸出されています。
2009年時点で「21世紀に入って世界にもっとも広まった日本語」とする意見もあるようです。
以下、「可愛い」のウィキペディアから抜粋します。

2009年のカワイイ大使就任の記者会見やインタビューにおいて、
外務省からの配布資料に記されていない「可愛い」
(実際にはそのローマ字表記である「KAWAII」)という言葉に対して
日本国外メディアから一切の質問がないなど、
日本国外メディアにおいては「可愛い」という言葉は
2009年時点で既に解説不要なほどに広まった言葉である。
「可愛い」に近い意味を持つ言葉は各国にあるが、ぴったりと当てはまる言葉はないため、
「可愛い」「KAWAII」という言葉が輸出されて使われるようになったのだという。

 
「かわいい」は、日本人独特の感性なのですね。
確かに海外では、「かわいい」キャラクターというのはあまりいないような気がします。
 
日本独自の漫画文化が生まれたのも、この「かわいい」の土壌があったからなのでしょう。
「かっこいい」アメコミと、「かわいい」日本の漫画では、
キャラに投影される想いが異なります。
 
古来の日本において「愛」とは、
小さくてか弱いものを「守りたい」と思うさまを指す言葉でした。
こういう意味の「愛」なら、気恥ずかしい感じがしません。
現に「かわいい」という言葉なら、老若男女、至るところで飛び交っているのです。
 
しかしフランス語の「amour」のような、
臆面もなく自分の恋愛的情熱を相手に伝える言葉としての「愛」に対しては、
日本人はまだ気恥ずかしさを感じます。
そういう「愛」の使い方は、日本の文化もしくはDNA的に、まだなじまないのです。
 
日本人の柄じゃないから、「愛」って言葉を無理して使う必要もないよねと感じます。
男女間でも「あなたが好きです」じゃダメなんでしょうか。
無理して「愛している」って言ったって、
「心」がその「愛」という言葉を本当に理解しているのかどうか・・・
「愛している」って言葉を連発する人の中には、
平気で不倫をする人も結構いるような気がします。
 
西洋の人にとっては、「愛」は文化的・DNA的に「心」になじむものであるし、
その言葉の重みをちゃんと「心」が理解しているはずです。
宗教的にも重要な言葉である「愛」という言葉を使ったときに、
西洋の人は「神が見ている」的な誓約を無意識に感じているような気がします。
それと対比すると、日本人の「愛しています」の軽さを感じてしまう訳です。
 
日本人は、やっぱり素直に「あなたが好きです」でいいんじゃないでしょうか。
その方が、自分の「想い」が無理なく両者の「心」に染みこむ言霊になるような気がします。
 
それとも、私がまだ「お子様」なのでしょうか?
 
あなたは、「愛」という言葉をちゃんと使いこなせていますか?