「依存」と「委任」の間

私は人に「委ねる」ことが苦手です。
うまく人に何かをお願いすることができません。
 
それは私が、「委ねる」の意味を勘違いしていたからです。
 
私は「委ねる」を、「依存」のように感じていました。
そりゃあ、人に「依存」するのは気が引けて当然です。
 
「依存」って、誰かにぶら下がるような感じがします。
そして「ぶら下がる」という表現からもわかる通り、
相手を自分より「上」に見ている感じです。
 
もちろん相手を「上」に見ること自体に問題はないのですが、
そういう意識があれば、やはり何かを頼むことは難しくなります。
 
かといって「委任」のように、
「上」から「下」に何かを任せるという態度も偉そうだし傲慢です。
 
私は、そういうような「上から目線」の仕事のお願いもしたくありません。
 
「委ねる」の理想は、「依存」と「委任」の間。
 
相手と対等に、そして相手を仲間として信じ、相手をリスペクトする。
「上」でもなく、「下」でもなく。
そういった絶妙なバランスの中で、「委ねる」という行為が成立すると考えます。
 
よく漫画に登場するような、
敵に囲まれたときに、仲間に「背中は任せたぞ」と言って、
二人で大人数と闘うようなあんなイメージです。
 
そういう成熟した信頼関係がなければ、
「誰かに仕事を頼む」という、コミュニケーションの最難関は達成できないと考えます。
 
「下から目線」であれば、遠慮が先行してしまい満足に頼むことができない。
「上から目線」であれば、そこには命令や傲慢のニュアンスが入り、
相手が100%の気持ちで仕事を遂行することができない。
 
どちらにせよ、二人分の力「1+1」が2以下の結果になってしまうでしょう。
 
「依存」と「委任」の間。
相手と対等に、相手を信じて、相手をリスペクトして「委ねる」ことができた場合にのみ、
お互いの「心」に100%の気持ちが宿り、
「1+1」が2より大きい結果を生み出すのだと考える次第です。
 
よく考えたら、
人に何かをやってもらうのですから、
「委ねる」という「コミュニケーション」は、
「コミュニケーション」の中でも最終奥義であり、
そう簡単にできるものではありません。
 
素人が手を出したら、どちらかが傷つくような危険な技です。
 
しかし「委ねる」ことこそが、組織で行う仕事の奥義であり、
「よい仕事」の必須条件だと、私は考えます。
 
「仕事」における「委ねる」の難しさや大切さ。
これらは、「委ね」られる側の気持ちを考えれば、イメージがつきます。
誰しも「なんか、仕事を投げられた・・・」と感じてしまうこともあれば、
「ああ、自分を信じて自分を頼ってくれているんだ」と、
気持ちよく仕事をできた体験も、多くの人にあるのではないでしょうか。
 
組織の中で仕事をするには、何よりも「心」が大切だと感じます。
皆、自分のできることを持ち寄って仕事をしています。
そして組織の中で、「委ね」「委ねられ」の関係性の糸がつながり合い、
「1+1」が、3や5や10になるような、大きな巨人を生み出すことができるのです。
 
私は、相手にちゃんと「委ね」られるように、
自身の「心」をしっかりと成長させたいと思います。
 
本当に仕事ができるようになるには「心」を豊かに成長させる必要があると、
私は考えるのです。