引き受ける「覚悟」

私の悪いところは、人と比較をしてしまうところ。
 
人と比べて評価されない、とか、
あの人だけずるい、とか。
そんな考え方を持つと、不平不満が生まれるし、被害者意識も生まれるのです。
 
しかし、人と比較すること自体がナンセンスだと気づきました。
 
なぜなら私やあなたは、世界で、いや宇宙で、たった一つの独自の存在だからです。
私は私の遺伝子で生まれて、私だけの家庭環境で育ち、
私だけの出逢いや経験を経て、今の私があります。
 
たまたま人間という同じ種族ではありますが、
私達は同じ土俵で比較できるほど同じ存在ではないのです。
 
人と比較する行為は、不幸を引き起こします。
 
自分が劣っているとか恵まれていないと認識するときには、
劣等感や被害者意識が生まれて、攻撃的な言動にも結びついてしまう訳です。
 
一方で、自分の方が優れていると認識するときには、
優越感が生まれて、相手への軽視や侮蔑につながります。
 
以下の質問に対して、答えを考えてみて下さい。
「メロンとスイカのどちらが優れていますか?」
 
こんなの、どうとでも答えられます。
どちらの味を好むかは、人それぞれですし、
値段が高いことがよいことなのか、安く生産できることがよいことなのか?
 
そう、メロンとスイカには、優劣なんてありまえん。
あるとすれば、それぞれの演じる役割でしょう。
メロンとスイカは違うから、同じ役割を演じることはできません。
すなわち、メロンには高級な気品のある役割が与えられ、
イカには家族が皆でワイワイ楽しんで食べる親しみやすい役割が与えられるのです。
 
しかしもちろん、これらの役割にだって優劣はつきません。
いくらメロンが高級だからって、
多くの人の思い出に残る果物はスイカかもしれない訳ですし。
 
以前紹介した動画で、「強い子」というとても感動するお話があります。

 
このお話は、生まれながらにして重い病気を背負った女の子の実話です。
なぜ彼女は、そんな苦しい環境に生まれてしまったのか?
 
一見、答えの出ないようなそんな問いに、彼女は答えを見つけました。
彼女が背負った運命は彼女が生まれる前に、自らの意思で背負ったというのです。
だれかが背負わなければいけない、特別なその運命。
神様は言います。
「これは、とても強い子でないと背負えないんだよ」と。
そして彼女は、神様にこう答えるのです。
「私が背負うわ。そうしたら、この運命を他の子が背負わなくてもよくなるんでしょう?」
 
なんて、強い子なんだ・・・
私は、この動画を観て泣きました。
 
私はもちろん、彼女ほど強くない存在です。
ですから、こうやってこんな年まで生きてこられるような、そんな運命を背負ってきました。
 
そんなに楽をさせてもらっているのに、私は不平不満を言うのです。
 
人と人の間には優劣はありませんが、人と人はそれぞれ違う運命を背負っています。
 
私は、私の役割をしっかりと認識し、
自分の存在に誇りを持てる「生き方」をしたいと、心から願うのです。