イマジナリー相棒

イマジナリーフレンドを、ご存じですか?
 
子どもが、目に見えない空想の友達と話す現象を指します。
 
イメージとしては、隣のトトロのような存在でしょうか。
大人には、見ることができません。
子どものために存在する想像の友達です。
 
子どもが誰もいない空間に向けて話しているのを見ると、
大人はとても心配になると思います。
しかし最近の研究によると、
子どもの健康な発達過程の一部であるようです。
 
北米の研究では、3歳から7歳の子どもの半分程度が、
イマジナリーフレンドを持つことがわかっています。
 
イマジナリーフレンドを見る子どもの傾向として、
相手視点に立つ能力が高い子どもが多いようです。
 
私にイマジナリーフレンドがいたかどうかは、
記憶にありませんが、
相手視点に立つことが苦手な私には、
そういう友達はいなかったんじゃないかなと考えます。
 
相手視点に立つことが苦手なアスペルガー的要素のある私には、
何かを相談できるような現実の友達もいませんでした。
 
ただ人間には、
生きている限り、相談したい苦しみや悩みが発生し続けます。
 
そうした時、私はこのブログにその苦しみを描いて、
自分でその悩みに対する答えを描いていたのです。
必要であれば書籍なども読み、
自分で自分に対する答えをひねり出してきました。
 
それが、このブログの一つの正体です。
 
私は友人に相談するのでなく、
ずっと自分自身に相談してきました。
また、書籍も読みあさって、考察に考察を深めると、
他の人に相談するという行為自体に
感じる価値も薄くなってしまったのです。
 
人生に必要な相談相手を私はブログに求め、
ブログは段々と私の「イマジナリー相談相手」になっていきました。
 
相談相手には、
自信を持って力強い口調で答えを言って欲しいものです。
ですから、「セルフ悩み相談係」のブログ記事は、
勢い、断定的な力強い語り口になっていきました。
もちろん断定的な口調にするために、
それなりの理論的な流れは用意したつもりです。
 
まあ、本当によく悩み、
本当にいろいろ答えを出してきたように思います。
 
そういう意味で、
このブログは私の「人生」の「イマジナリー相棒」でした。
 
私を助けてくれた相棒ですから、とても愛着を持っています。
 
私の苦しみを共有し、私を導いてくれた頼りになる友人。
私は何もない空間の代わりに、
誰もいないパソコンのモニターに、自分のことを語り始めました。
「鏡よ、鏡よ、鏡さん・・・」
 
すると、なんと答えが返ってくるではないですか。
私は夢中になって、文章を重ねていきました。
 
思考に思考を重ねてきたので、私の中の理論はとても強固です。
しかしそういったことは、
思考の柔軟性や多様性を失わせる結果にも繋がりました。
 
私の構築してきた理論は、
自分を納得させるためには、ある程度効果があるようです。
しかし、なかなかこの世界は一筋縄ではいきません。
まだまだ苦しみからは解放されないのです。
特に対人というものは、こんなに描き続けていても、
「幸せ」な関係を築く法則のようなものは見つかりません。
依然、私の苦手なタイプは、今でもそのまま苦手です。
 
人に相談すると、はっとすることがあります。
そういう自分にはなかった視線の回答を頂くと、
自分の推し進めていた方向が、一次元的だなと感じる次第です。
 
人は、信用できない。
人に相談しても、自分にフィットする答えは得られない。
 
そんな風に考えていた時期もありました。
 
しかし、人から学ぶことは、植物が水を吸って生きるように、
当たり前の「魂」の営みなのかもしれないと想うのです。
 
今まで私は、偏食をし過ぎていました。
もっと人と交わって、もっと人を信頼して、もっと人に相談して、
「魂」の成長を達成したいと想う次第です。