ピリオドに向けて

このブログも、今日で716日目です。
たくさんのことを、このブログで「考察」してきました。
そして、たくさんの時間を費やして「表現」してきた次第です。
 
このブログを描いてきた原動力は何だったのか考えると、
私が「生きる」上での、「苦しみ」や「悔しさ」だったのかなと思います。
 
「苦しい、苦しい、なんでこんな人生を生きなきゃいけないんだ?」
「悔しい、なんで他の人と同じようにうまくやっていけないんだろう?」
 
そして、説明書もサポートセンターもないこの「世界」に腹が立ったので、
自分がこの「世界」と対峙してどのようにあがいたのか、記録に残すことにしました。
 
想像してみて下さい。
自分に支給されたパソコンが動作不具合を起こしていて、
他の人のパソコンでは普通にできることが、自分のパソコンにはできないという状況。
しかし、説明書もサポートセンターもありません。
 
そういう場合、あなたならどうしますか?
 
一つは、他の人に聴きまくるのも手でしょう。
しかし、他の人は自分に支給されたパソコンを見て話すので、
その回答が自分のパソコンにも本当に有効か、不安でもあります。
 
もう一つの方法が、とにかく自分のパソコンをいじくり回して、
その試行錯誤の結果をひたすら記録していくことです。
自分のパソコンに向かって行う作業なので、
私はこちらの方法の方が合理的だと考えます。
 
その試行錯誤の記録が、このブログなのです。
 
この記録を続けることで、
私は訳のわからなかった自分のパソコンへの理解を、
直感的に深めることができました。
 
もちろん「こうすればこう動く!」という明確な答えはまだ見つかっていませんが、
訳のわからない物体も、記録を続けるくらい丁寧にいじくっていれば、
なんとなくその物体の癖というか息づかいを感じられるようになってくるのです。
 
例えば、昨日職場の同僚から教えて頂いたことで、
本当にそうだなぁと、腑に落ちたことがあります。
 
す〜っと納得できたのは、
自分のパソコンをいじくり回し続けたからこそ、だと思うのです。
 
昨日のお話は、「継続」について。
 
人は、何か「行動」を起こすことで、自分を望む方向に変えていきます。
ただその「行動」は、「継続」することが必要です。
「継続」して「習慣」レベルに引き上げると、
ようやく自分を変えられた気持ちになり、自分に自信がついてきます。
 
しかし「行動」を「継続」することは、とても難しいです。
これは、自転車のペダルのようなものだと認識しています。
 
最初、ペダルはとても重いのです。
しかし少しずつ漕ぎ始めると、だんだん「行動」を繰り返すことの負荷が減ってきます。
そうなったら、しめたものです。
「行動」に感じるものが、「負荷」から「楽しさ」に変わってきます。
 
ですから何か行動を始めるときは、
「今は苦しいけど、そのうちスイスイ進むようになる」と、
気持ちよくペダルを漕いでいる状態をイメージすることがコツです。
 
一度気持ちよくスイスイ漕げたら、
その「継続」を中断したとしても、自分への「自信」は「心」に残ります。
これが結構重要です。
 
私もこのブログを、「継続」して描き続けることに成功しました。
最近の描く頻度はそんなに高くありませんが、
その成功の記憶は、自分への「信頼」と「自信」をもたらしてくれるのです。
 
説明書も何もない「人生」ですが、
こういった「継続」の「記憶」をコレクションしていくと、
「人生」に何かしらの「意味」が付加されると、私は実感します。
 
さて世の中にはたくさんの「継続」の対象がありますが、
私が「継続」してきたことは「表現」です。
 
今私は、「表現」を更に高めていきたいと考えています。
このブログを5年続けてペダルをスイスイ漕げるようになって気づいたことは、
「表現」することの「喜び」です。
 
私はこの「人生」を通じて、もっともっと「表現」したいと想います。
そのために検討していることは、「表現」の場をこのブログから変えることです。
 
今のままだと、「表現」したいことが本当に「表現」できているのか?
より洗練されたパワーのある「表現」を求めて。
 
そろそろイモムシは、サナギになることを考え始めています。