「生命」は「優しさ」に向かって進化する

何があれば、この「世界」を生きていけるのか?
 
私は、「誇り」と「優しさ」だと想います。
 
「優しさ」のない「世界」を想像してみて下さい。
そこに生きる「意味」や「価値」は、あるのでしょうか?
そんな「世界」の住人だったら、「心」は成長しないような気がします。
雌のカマキリが後尾後に雄のカマキリを食べてしまうような、
そんな無機質な「世界」です。
私は、そんな「世界」には住みたくありません。
 
あるいは、「優しさ」が一つも登場しない「映画」や「漫画」を想像してみて下さい。
ホラーや極道モノの映画にだって人間同士の「優しさ」が登場します。
 
異色作として話題になった「Cube」や「Saw」、それから「進撃の巨人」。
これらの作品が人々の「心」をつかむのは、
「優しさ」がちっぽけなものとして、いともたやすく踏みつぶされてしまうから。
甘い食材に塩をかけるのと一緒で、
そういった「世界」を味わうことで、
「優しさ」のある現実世界に住む幸運を噛みしめているのかもしれません。
作品を創るうえで「優しさ」のさじ加減は、その作品の性質を大きく左右するのです。
 
「優しさ」は、生命の進化の果てに登場します。
 
他の個体への「共感」や「優しさ」を持つ生命は、哺乳類や鳥類からです。
ネズミを使ったこんな残酷な実験があります。
 
ボタンを押したらエサが出てくる装置を作成し、それをネズミAに学習させるのです。
ネズミAはそれを学習し、餌を食べるためにボタンを押すようになります。
次に研究者は、このエサが出るボタンにもう一つの効果を付け加えたのです。
まず、隣にネズミBのいる透明なケースを用意します。
そしてネズミAがこのボタンを押すと、
ネズミBがいるケースの床に電流が流れるようにしたのです。
そうすると、最初はエサ欲しさにボタンを押していたネズミAは、
ネズミBが電流で苦しんでいる姿を見て、ボタンを全く押さなくなります。
「本能」である食欲に、「共感」が勝った訳です。
その決意は、ネズミAが餓死するまで続きます。
 
このように、高度に進化した「生命」には、
他の個体への「共感」や「優しさ」が表れるのです。
 
もともと「生命」は、単細胞生物を想像してもらえばわかるとおり、
自己複製するためのパーツのような存在に過ぎませんでした。
しかし、交尾が終わったら雌に食べられるカマキリの雄のような、
種が増殖するためには個の犠牲をいとわない全体主義的なあり方に、
「生命」が嫌気を感じたのかも知れません。
 
「生命」は進化の果てに、「個」を愛するようになったのだと想うのです。
自分という「個」を愛し、他者という「個」も愛す。
 
人間を筆頭に、
「生命」は「種」という鎖に抗い、「個」への「愛」を持つ方向に、
これからも進化していくでしょう。
全体主義を嫌い民主主義を好む人間達のあり方を見ていれば、
それが自然な流れなのだと、私は想います。
カマキリの雄だって交尾後、雌から逃げようとする個体もいるのです。
 
「生命」がこの「世界」で何千億世代にも渡って様々な経験を積んでいるのは、
いつか「愛」を理解し体現するためなのかもしれないなと、私は妄想します。