「長い箸」

仏教での有名な講話「長い箸」。
 
死後、極楽に行った人も地獄に行った人も、
皆食事は1メートル以上の長い箸を使って行うというものです。
極楽の人達も地獄の人達も、その箸で食事をするのですが、
箸が長すぎて、箸でつかんだ食べ物を自分の口に入れることはできません。
 
地獄の人達は、
それでも食べ物を自分の口に入れようとして悪戦苦闘するのです。
一方で、極楽の人達は自分の箸でつかんだ食べ物を、
自分の口ではなく、相手の口に入れてあげます。
そうすることで極楽の人達は、食べ物をお腹いっぱい食べられる訳です。
 
地獄の人達は、なんとか自分の力で食べ物を食べようともがきます。
しかしどうやっても食べ物を食べることができず、空腹の状態が続くと共に、
「なぜこんな長い箸なのか」と悩み苦しむのです。
 
私もずっと地獄の人達と同じ事をやっているのかもしれません。
この「世界」の箸は、「なんでこんな長い箸なのか」と嘆き、
なんとかその箸で自分の空腹を満たそうと、もがいてきた訳です。
 
私は、この「長い箸」を理不尽だと感じます。
一人で生きるよりも、複数で生きることを強要するツールだからです。
  
オンラインゲームの世界では、
一人でやるプレイを「ソロプレイ」と呼びます。
しかし多くのオンラインゲームでは、
「ソロプレイ」よりも複数人が仲間を作って一緒に目標を達成することを
推奨しているようです。
 
例えば、一人で敵を倒すよりも、
仲間でパーティーを組んで敵を倒す方が、
入ってくるポイントが高いというような優遇措置が設けられています。
 
これは、オンラインゲームのクリエイター達が、
「一人で行動するよりも、仲間で行動する方がよい」と思ったから、
そういったルールが組み込まれた訳です。
 
現実の「世界」も、似たようなものかなと想います。
この「世界」のルールも、「ソロプレイ」よりも「複数人プレイ」が推奨されている訳です。
 
結局「複数人プレイ」の方が、「幸せ」のポイントが入って来やすく設定されています。
 
私は、目の前の「長い箸」をじっと見つめます。
 
もう、自分で自分を「幸せ」にすることが難しいことを悟りました。
そのくせ、人が他者を「幸せ」にすることは、とても容易です。
特にお腹を空かせている他者には対しては。
 
自分の「長い箸」は、そのためにあるのでしょう。
 
私達は・・・
苦しんでいる人に、「何か役に立てることはない?」と聴くことができます。
怒っている人に、「本当にごめんなさい」と心から謝ることができます。
喜んでいる人に、「本当によかったね」と心から祝福することができます。
 
アンパンマンは、自分の「幸せ」のためには行動しません。
他者の「幸せ」のために行動して、そしていつもニコニコの笑顔です。
バイキンマンは、自分達の空腹を満たすため、様々な努力をします。
しかし、いつもうまくいかずにもがいている訳です。
 
私は、自分で自分を「幸せ」にしようとすることを諦めます。
それよりも、他者を「幸せ」にすることの方が、よっぽど簡単にできますよね。
 
もちろん「幸せ」な人を、より「幸せ」にすることは難しいです。
でも、苦しんでいたり悩んでいたりする人を「幸せ」にすることは、
やろうとすれば誰にだってできるんだと、私は考えるのです。
 
私は、目の前の「長い箸」をじっと見つめます。