虫になるな。猿になれ。

自分の中で生きる理屈を考えて生きていくことは、とても大切です。
特に、自分の「人生」に途方に暮れることが多い人には。
 
持って生まれた資質やセンス、生まれた環境、その後の出会いや運命、
「人生」をよいカードで始められた人は、あまり理屈を考える必要はありません。
 
しかし「人生」をよいカードで始められなかった場合、
「人生」の理屈を考える必要があるのです。
 
そういった人達は、「逃げる」ということも「人生」の大事な要素になります。
 
さて「逃げる」ということは、恥ずべきことでしょうか?
 
確かに百獣の王のライオンにとって、「逃げ回る」ことは恥だと思います。
 
しかし小動物の場合は、
天敵もいる世界で「逃げ回らない」ことの方がどうかしている訳です。
 
ともすれば小動物達の世界では、
「強い」ことよりも、
うまく機敏に「逃げ回る」者の方が仲間から尊敬を集めるかもしれませんね。
 
そして「逃げ回る」ことにも、様々な質があります。
虫のように、ただただ考えなしにその危険な場所から反射的に逃げる者。
猿のように、危険なサバンナから樹上という自分の得意領域を見つけ出してそこに逃げる者。
 
ただただ考えなしに逃げる虫は、天敵にどんどん補食されてしまいます。
しかし、彼らは膨大な数の子孫を残していく人海戦術を採っていますので、
そういう考えなしの戦略でも、彼らの種は地球上に存続をしている訳です。
 
しかし生まれて消える数が多い分、一匹一匹の命の重さは本当に軽い。
 
私達人間も考えなしに逃げていては、自分の価値を自らどんどん軽くしていきます。
だから逃げることは、辛いんです。
 
一方で、雪上のウサギはただただ闇雲に逃げてはいません。
彼らは、キツネ等の捕食者の追跡をかわすために、
自分の雪上の足跡をバックで踏み直してごまかす「止め脚」という歩き方をするのです。

 
その彼らの華麗な技を見るだけでも、彼ら一人一人の命は重く、
必死に「一生懸命」生きている姿を思い浮かべることができます。
 
さて、私達の祖先でもある猿は、とてもとても弱い生き物でした。
サバンナでライオンに襲われたら、
どんな動物よりも真っ先に食べられてしまうでしょう。
 
そんな彼らは、それでも生きるために「一生懸命」逃げ続け、そして考えました。
そして彼らは、捕食者がやってこれない樹上に逃げ込んだのです。
 
このように自然の営みに想いを巡らせると、
私は「逃げる」ことも、「一生懸命」生きることに対して「逃げ」ではないと考えます。
 
猿として生まれたのに、
サバンナでストレスに苛まれながら生活し続ける方がよっぽど怠慢です。
 
私のこのブログは、ライオンの人には発信していません。
そうではなくて、捕食される側の人達に一生懸命発信をしているのです。
 
勘違いしてはいけないのは、
「生き方」の最適解が全ての存在に統一であることなどあり得ないということ。
ライオンは、ライオンらしくその場で堂々と生きて下さい。
しかし猿やモグラには、別の誇りある「生き方」があります。
 
「逃げる」にしても、「一生懸命」考えて、逃げる先を見つけましょう。
虫のように、ただただその場で逃げ続けることは、哺乳類にあるまじきこと。
 
何を考えればよいかと言えば、それぞれの「生きる」理屈です。
私はこのブログで、「これが生きる理屈だ!」というものを日々模索しています。
そうして、その理屈を仮説でもよいので見つければ、
そこに「生きる」場所を移すことができる訳です。
 
私が猿だとしたら、今の「サバンナ」でなく、「樹上」を「一生懸命」模索するのです。
 
職場を変えるときに、「あなたはどこに行ったって一緒だよ」と言われたことがあります。
 
果たして、そうでしょうか?
自然を見れば、それは嘘であることがわかります。
渡り鳥は、彼らに最適な地を求めて何千キロと飛んで移動をするのです。
移動しない渡り鳥の方が、「何怠慢しているの?」という話になります。
 
虫のように、考えずに逃げることは下策です。
それは、自らの尊厳を削って生きる生き方。
 
私達は、逃げに逃げ続けて樹上という世界を見つけた誇り高き猿の子孫です。
 
「逃げる」ことは、何の恥でもない。
そこにいるのが辛いのなら、是非お逃げなさい。
ただし「一生懸命」に知恵を絞って。
 
あなたにとっての、「樹上」はどこですか?