ゲゲゲの幸福論

ゲゲゲの鬼太郎」の作者、水木しげるさんが、
11月30日に満93歳で亡くなられました。
水木しげるさんと言えば、もちろん妖怪です。
おそらく多くの日本人がそうであるように、
私も子どもの頃は、水木しげるさんが描く妖怪の世界をワクワクしながら見ていました。
 
西欧化して久しい日本ですが、
私達の心の中に、
日本の妖怪の知識(存在)が息づいているのは、
一重に水木しげるさんのお陰でしょう。
 
水木しげるさんがいなければ、
古来からの妖怪の存在は、私達日本人の心からかき消えていたと思います。
 
そういう意味では、水木しげるさんは日本の妖怪の存在を護った大恩人です。
 
水木しげるさんは、
目に見えないものを信じる信心深い戦前から、科学の進んだ合理化された戦後・現代に、
漫画という媒体を通じて、妖怪達の存在を橋渡しされました。
 
最近の妖怪ウォッチの流行も、
水木しげるさんの橋渡しがなければ、あり得ない話です。
 
お陰様で、今の子ども達から高齢者の人達まで、
日本人はみんな、妖怪の存在を知っています。
 
近代化の過程で、
例えば共産国家は科学のみを信奉し、
宗教を始めとした目に見えない存在を一掃しようとしましたが、
日本においてはそんな早計なことにならずホッとしている次第です。
 
さて、水木しげるさんの死に際して、
私は水木しげるさんがどんな方だったのか知りたくなり、
電子書籍キンドル水木しげるさんの本を検索しました。
 
そこで私の目を惹いたのが、「水木サンの幸福論(角川文庫)」という書籍です。
 
さっそく書評に目を通してみると、
水木しげるさんは、
「幸福ってなんだろう」という自問自答を子どもの頃からずっとされていたそうです。
 
私もずっと「幸せってなんだろう」と考察を続けています。
「これは」と思い、電子版の書籍を購入した次第です。
 
書籍には、水木さんが「人生」を通じてまとめられた幸福の七ヵ条がありました。
 
全部記載してしまうとネタバレになってしまうため、
気になる人は、是非書籍を手にとって下さい。
 
その中で、「なるほど」と唸った条項があります。
 
 目に見えない世界を信じる。
 
この条項についての、水木さんお説明を一部引用します。

実際、何回も死にかけた。
ふまじめな陸軍の二等兵だった水木サン(ご本人の一人称です)は、
上官から「死ね」「死ね」と言われ続け、
危ない方へ、危ない方へと行かされました。
水木サンが生き残ったのは軌跡です。
あまたの幸運のひとつでも外れていたら、
間違いなくあの世行きだった。
たぶん「目に見えない何者か」が生かしてくれたんです。

 
水木しげるさんは、太平洋戦争で従軍され、
玉砕命令が出されたラバウルで、九死に一生を得ました。
(詳しくは、ウィキペディアをご覧下さい)
 
想うのは、上官から「死ね」「死ね」と言われ続けて、
危ない方へ、危ない方へと行かされた、絶望しかない状況で、
最後に信じることができるのは、「目に見えない何者か」なのだと。
 
水木さんほどの体験に勝るものは、
現代の日本社会において早々あるとは思いませんが、
でも自殺する人が後を絶たないこの日本社会において、
人間関係で八方ふさがりになる絶望的な状況はざらに存在するはずです。
 
そういう時には、
「目に見えない何者か」を信じることこそが特効薬ではないかと考えます。
 
もちろん、何にでもすがるのはNGです。
新興宗教などの組織的な活動をしているところは、
参加した自分が組織に利用されるリスクも高いため、
突発的に思い立って参加するものではないと考えます。
 
そうではなくて、自分を温かく見守ってくれる「目に見えない何者か」。
いずれかの組織に属するのでなく、
身近な神社仏閣や過去に亡くなった親族からペットまで、なんでもよいので、
身近なものに「心の拠り所」を見つける「心の豊かさ・柔軟性」を持つことが
重要だと想うのです。
 
当たり前のことですが、世界は「現代科学」で解明されていません。
「現代科学」は、まだまだ不完全なのです。
それなのに「現代科学」のルールだけを盲信していては、
本来の「心」のあり方とは、どんどん乖離していってしまうように感じます。
 
例えば、自国を原始共産主義国家にしようとして
前代未聞の恐ろしいほどの大虐殺を起こしたポル・ポトの行動を、
「現代科学」の理論では否定できない訳です。
 
「心」には、「心」の法則があります。
そしてその法則は、「現代科学」の物理法則とは別物なのです。
 
だから「目に見えない何者か」が存在しないと断ずるのは、早計だと想います。
 
水木さんも、
「一時は妖怪なんてこの世にいないのではないかという疑問がわき、
 迷い、悩み苦しんだ日々もあった。
 だが、今は信じている。」
と、おっしゃっています。