「生きる価値」

「人生」は、ドラマでもなければ映画でもない。
 
ドラマや映画の主人公のような活躍場面もないのに、
皆どうやって自分に「生きる価値」を見出しているのだろうか?
 
社会に出て職場や大切な人に貢献することは、
自分の「生きる価値」を見つける一つの道だろう。
 
ただ「生きる価値」を他者からの「評価」に頼っていては、
それはとても苦しいだけだ。
 
いつもプラスの「評価」を受けるなんて、あり得ないから。
そもそも他者の「評価」は、
恣意的で気まぐれで、自分の生きてきた「過程」も無視される。
 
 
「人生」は、ドラマであり映画なのだ。
 
今現在が、どんなにひどい「結果」だとしても、
私達には、「一生懸命」に生きてきた「過程」がある。
 
私の生み出してきた「結果」なんて、ひどいものだ。
生まれてからずっと人とコミュニケーションができないし、
友人と呼べるような「つながり」もずっと持つことができなかった。
 
それでも、私は生きてきた。
悩み苦しみながらも、生きてきた。
そしてこのブログで、たくさんのことを考えてきた。
 
私と同じように苦しんでいる人に、何らかのヒントや励ましになればと願って、
私は、「結果」でなく「過程」をこのブログに綴る。
 
「結果」だけで語ることの、なんと薄っぺらいことか。
「人生」の本質は、「過程」だ。
 
「結果」でなく「過程」で「人生」を語るとき、
誰の「人生」も、ドラマや映画のような深いストーリーとなる。
 
私達の「生きる価値」は、「過程」にあり。
 
どんな人の「過程」に対しても、「くだらない」なんて絶対言わせない。
 
私達はみんな、「一生懸命」に生きている。
「一生懸命」に生きることのみが、「生命」の本質だ。
100年後には死んでいる私達にとって、
成功することや名を残すことが、本当に「価値」なのだろうか。
 
違う。
今この瞬間の命を、「一生懸命」に燃やすことだ。
 
「物質」にとっての「質量」のように、
「生きる価値」は、「生命」ある限り当然に備わっているもの。
 
私達の「生きる価値」は、「過程」にあり。
全ての「生命」に等しく、「生きる価値」は存在せり。