「強く」なるには、「答え」を出せばよい

世界で最も強い人とは、どのような人でしょうか?
 
もちろん「強い」の定義は様々ありますが、
私は「信念」を持つ人々を挙げたいと思います。
 
人間なんて所詮、虎や熊よりも力の弱い生き物です。
ですから格闘家や武人が最も「強い」かと言うと、そうではないと感じます。
 
そうではなくて、人々を導いた政治家や宗教家、あるいは科学者などの
「信念」を持って事を成し遂げた人々のお陰で、
昔は洞窟暮らしをしていた人類が、
他の生命を圧倒するような立ち位置につけた訳です。
 
ですので世界で最も強い人とは「信念」を持つ人々だと、私は考えます。
 
正しいか誤っているかはともかくとして、
例えば宗教に「信念」を持っている人は強いです。
マザー・テレサは世界で最も「強い」人の一人だと、私は尊敬していますが、
その強さの大きな要因として、
やはりキリスト教への揺るぎない「信念」は外せないように思います。
 
一方で「信念」の強さが裏目に出たのが、ISISの自爆テロだと考える次第です。
 
別に「信念」の源泉は、「宗教」だけではありません。
己や己の「人生」を絶対的に信じて成功した政治家や企業家が数多くいる訳です。
 
様々な逆境やアクシデントに出会っても、
「信念」を持つ人々は、ネガティブさえも糧にして前に進みます。
そんな彼らの生き方は、迷いの中で自分を見失っている人々に比べ、
「強い」生き方ができていると、私は考える次第です。
 
さて私は、別に「成功」しようと想いませんが、
「強く」なりたいと心から願っています。
「強く」ないと、「幸せ」にはなれないと考えているからです。
 
自分の「道」が見えないと、
自分の「欲」に踊らされて自分を窮地に陥れてしまいますし、
周囲の「欲」に翻弄されて自分の行きたい方向を見失ってしまいます。
 
「信念」の定義とは何か?
(1)私は「欲」を越える「想い」であると定義します。
 
「信念」>「欲」であるから、事を成し遂げることができるのです。
 
もう一つ「信念」には定義があります。
(2)「信念」とは、「迷い」から脱した「答え」であるということです。
 
ですので「信念」を持つためには、
まずは自分にとっての「答え」を探すことが必要となります。
 
「答え」を手に入れるために、新興宗教に飛びつくのもいいでしょうし、
「俺、最強」という「信念」で突き進むのもいいでしょう。
 
しかし私は、本当に自分の「心」が望む「答え」を見つけたいと考えます。
じっくりと本物の「答え」を見極めたいと想うのです。
 
「信念」を持たない悩み多き前半生はグダグダでしたが、
「答え」を定めたならば、一転して「強く」生きたいと願います。
 
そろそろ「答え」が出そうな気がするのです。
最近、自分の中で価値観の衝突があり、ずっと悩んできました。
自分は、どうなりたいのか?
「つながり」を持つ人間になりたいのか?「優しさ」を持つ人間になりたいのか?
 
「つながり」は、幻想であることに気づきました。
当たり前の話ですが、心ない「つながり」が数多く存在する訳です。
例えば、群集心理や民族浄化やいじめは、心ない「つながり」の産物なのだと考えます。
 
「つながり」自体に価値はない。
どういう「つながり」を持つかが、重要なのでしょう。
 
まだまだ私は「優しい」人間ではありませんが、
でも「優しい」人間になりたいと思います。
それが、私にとっての「答え」です。
 
私が「優しい」人間になること。
それが自分にとっても「幸せ」なことだし、
おそらく世界にとっても「幸せ」なことだと信じます。
 
私の後半生。
「欲」を凌駕する「信念」を携えて、一転して「強く」生きたいと願う次第です。