私の「琴線」

私は、「可哀想」という感情をよく持ちます。
そしてそれが、自分の行動原理になることが多いです。
 
童話や物語でも涙が出ます。
 
例えば、「ゴンギツネ」や「一杯のかけそば」。
それから先日読んだ絵本でも、涙があふれそうになりました。
 
どんなところで泣いたかと言いますと・・・
知的障がいを持つお姉ちゃんと弟くんの話で、
普段からお姉ちゃんを大事にしていた弟くんの友達がお姉ちゃんを笑いものにしていた時に、
つい弟くんが「あれは、僕のお姉ちゃんじゃないよ」と言ってしまうのです。
お姉ちゃんの元気がなくなって、
お姉ちゃんが弟くんに「ごめんね」と謝るところで涙が出そうになりました。
 
・・・こうやって文章にしてみて、気づいたのですが、
私が感動する「琴線」は、「可哀想」とはまた違うようです。
 
「可哀想」というよりは、
一生懸命、真っ直ぐに頑張っている人に、私は「心」が動かされるように感じます。
 
子どもは、真っ直ぐに一生懸命ですよね。
一杯のかけそばに登場する親子も、ゴンギツネも。
私は、そういった存在を「心」から肯定します。
 
そういった存在を、助けたり、手伝いたいなと、「心」が自動的に動くのです。
 
私の「心」は、語ります。
少なくとも私の「心」の世界では、真っ直ぐに一生懸命生きることが何よりも価値があると。
 
何を成したか?上手にできたか?ということよりも、それは重要です。
 
翻って、自分はどうなのか?と考えてみます。
自分は全然、真っ直ぐでも一生懸命でもないなぁと強く感じる次第です。
 
人に悪意を持ったり、人を恨んだり、人を決めつけたり、
エゴな考えが頭の中でグルグル回ったり・・・
ああ、こんな生き方をしていたら、「心」は元気にならないよなぁ・・・と思います。
 
自分の「心」は、何を「価値」としているのか?
ここを十分に感じることが、「心」を動かす「鍵」を見つける方法だと考えます。
 
私は、ずっと「心」のエンジンが回っていない状況でした。
ですから私は、「心」のエンジンを回す「鍵」を早急に見つける必要があります。
 
そしてその「鍵」は、おそらく「真っ直ぐに一生懸命」。
なぜなら、「真っ直ぐに一生懸命」に触れると、私の「心」が動いて涙が出るからです。
 
これを読んでいるあなたには、どのような「心」の「琴線」がありますか?
もしかしたらその「琴線」が、
あなたの「心」が求めている「生き方」の「鍵」になるかもしれないと、考える次第です。