「反省」だけなら

古いネタで恐縮ですが、
昔胃腸薬のCMで、
「反省だけならサルでもできる」というフレーズがありました。
飲み過ぎたサラリーマンが翌朝つぶやくセリフとして、
登場する訳です。
 
このセリフ、
当時全国的に有名になった猿回しのニホンザルがおりました。
このサルの、一世を風靡した芸が「反省」なのです。

 
ポーズだけの「反省」ならサルでもできるよ、
ということをこのCMでは皮肉っています。
 
さて、じゃあ「反省」ってどうやるの?って話です。
 
以前私が人の相談に乗っているとき、
その人は「反省しなきゃ」って気持ちが強すぎて、
自分を自分で痛めつけているように感じたことがあります。
 
そんな自分を痛めつけるような「反省」のし方は正しいのでしょうか?
私は、それでは自分を委縮させるだけで、
学んで次回に活かすことが難しいのでは?と考えます。
 
そもそも、「反省」とは何のために行うのでしょう?
 
自分を折檻して痛めつける罰として行うものではないと、私は思います。
 
私の考えでは、「反省」とは自分で自分を叱る行為です。
親が子どもを叱るのと一緒。
 
ですから、「反省」には「愛」がないといけないと思います。
あくまで自分の「幸せ」を願って「反省」するのです。
 
世の中には、「愛」なき「反省」が多すぎます。
自分の「心」を、モノのように扱っていいんですか?
 
例えば、周囲の人から自分の子どもに対する苦情が入った時、
「このやろう!」と言って自分の子どもを殴る父親、
頭ごなしに感情的に怒る母親。
こういったことは、子どもに対する正しい教育ではないと多くの人が感じるはずです。
 
子どもに対しては、
「迷惑が掛かった○○さんがどういう気持ちになったかを想像できるように伝え、
 そしてなぜそれが直すべき行動になるのかをしっかりと理解できるように伝え、
 だから○○さんに謝らなければいけないし、これからは同じことをしてはいけない」と、
子どもの「心」をしっかり感じながら、コミュニケーションをとることが重要だと思います。
 
で、自分が「反省」する時も、これと一緒です。
自分の「心」を、自分の子どものように扱います。
自分の「心」の傷つきやすさは、ご自身が一番ご存知でしょう?
 
周りから「反省しろ」と言わるがままに、自分の子どもを殴りつける親がどこにいますか?
 
そうではなくて、親は、どんな問題が起きたか自分の頭で把握し、
そして、子どもに理解できるように、叱って悟らせるのです。
 
「そうか・・、あの行動は○○さんを確かに傷つけるなぁ。。
 悪いことをしたな・・・」
そう、自分の中で理解することができれば、「反省」は終わり。
後は、必要であれば、その人に謝罪します。
 
これが、本当の「反省」だと考えますが、
これを読んでいる方はどのように感じるでしょう。
 
いずれにしても、あなたの純粋な「心」には、ちゃんとした保護者が必要だと思います。
 
あなたの「心」は、自分の子ども。
 
私もそうですが、
自分の子どもである「心」を、感情のままに殴りつけ痛めつけている人が多すぎます。
痛めつけて、「ざまぁ、見ろ!」と毒づく親です。
 
私は、そうやって自分の「心」を虐待してきました。
 
だけど、今後はそのようなことをしたくない。
だから、このブログに私の感じたことを記します。
そして、私と同じように自分の「心」を虐待している方がいましたら、
私のこんな気づきが、その方にも届いてほしいと切に願う次第です。
 
「反省だけならサルでもできる」
 
猿回しの芸では、保護者である人とサルの「信頼関係」がとても重要だそうです。
ですから、安心してサルは、自分の片手を相方の人の膝の上に置き、
「反省」のポーズをするんだろうなと想います。
 
はたして私の「心」は、私を「信頼」してくれているのだろうか?
「反省しなきゃ」と私が思った時に、「信頼」して片手を私の膝に置いてくれるだろうか?
 
「また、ぶたれるのか」と、怯えていなければよいのですが・・・