「心」の「型」

「生き方」を学んでいくには、
「知識」と「考察」と「経験」が必要だと考えます。
 
いくら「知識」を仕入れて「考察」を重ねたとしても、
「経験」という実践がなければ、
「絵に描いた餅」にしかならない訳です。
 
企業家の「人生哲学」が的を射ているのは、
一般的な人よりも「経験」の質と量が豊富だからだと、私は考えます。
平社員が接する人数よりも、社長が接する人数の方が多いでしょうし、
平社員が直面する意思決定環境よりも、
社長が直面する意思決定環境の方が種類豊富でしょう。
そういう観点で、企業家は得られる「経験」が豊富になると考えます。
そして、企業家には「優れた人生哲学」を生み出す人が多くいらっしゃることから、
「生き方」を学ぶにあたり、「経験」が重要な要素であると考えた訳です。
 
「知識」はお金があれば手に入り、「考察」は時間があれば手に入ります。
しかし質の高い「経験」は、望んで得られるものではないと考える次第です。
生まれた環境、人との出会い、自らの運命、様々な要素の糸で「経験」は編まれます。
 
学生の頃に社会人並みの「経験」を得ることは難しく、
同様に、現代人に戦国武将並みの「経験」を得ることも難しい訳です。
どんなに「お金」を積んでも、どんなに「時間」をかけても、
例えば織田信長と同じ「経験」は、誰もすることができません。
「経験」は、その人のために用意された、その人だけの特注品であり、
過ぎた「経験」は二度と繰り返せない「一期一会」の一品です。
 
私は現在、幸運なことに「質」の高い「経験」の中にあります。
それは、
「損得」抜きに自分の「意思」で身を置くことに決めた
負荷の高い業務環境から得られる「経験」です。
 
今回の「経験」と、今まで蓄積した「知識」や「考察」が結びついて、
実感したことが一つあります。
 
それは、「心」の「型」の話。
まず、自分や人には「心」の「型」が存在するという事実。
そして、世の中には、
自分の「型」と一致する人がいる一方で、
合わない「型」の人も間違いなく存在するという事実。
 
頭では、全員に好かれる「八方美人」なんてあり得ないと認識していましたが、
今回、ある意味「魂」を込めた行動をする中で、
「やはり型はあるんだな」「どうしても自分の型と合わない人って存在するんだな」と
体感したのです。
 
今回、おそらく「人生」で初めて「魂」を込めた行動を採った結果、
その決意をわかってくれ、応援して心配してくれる人が現れました。
今回の真剣な行動で、自分も知らなかった私の「型」が露わになり、
その私の「魂」の「型」を受け入れてくれた人達です。
 
一方で、現れた私の「型」や私の真剣な行動に気づかずに、
私を無視したり拒絶する人もいます。
 
「ああ、この人とは心の型が違うんだな」と感じます。
しかし、ただそれだけです。
その人のことを憎む気持ちにもなりません。
真剣な自分の行動で、自分の「型」を実感した私に生じる感情は、
「嫌悪」でなく「仕方ない」という理解です。
 
もし私が私の「型」を経験していない状態であったら、
私を無視したり拒絶したりする人に対して、憎悪が生まれたと思います。
 
しかし今回の真剣な「魂」の行動で、
私は私の「型」を実感し、
私の「型」と合わない人の存在を自分なりに理解することができたのです。
これが「自信」ということなのかなと、私は考えます。
 
「経験」しなければ、わからないことがある。
この発見は私にとって、非常に重要です。
これからは意識して、自分好みの「経験」を選んでいこうと想います。
自分の「魂の成長」のために、あえて進む道です。
 
既に私には、世間の常識を無視して、自分の「考察」から選んだ「経験」もありますが、
そこから得た「経験」は、他の人にはわからないだろうな・・という実感を持っていました。
 
言わずもがなですが、「経験」はその人の「人生」を大きく変える最大の要素です。
「安定が・・」とか「お金が・・」とか、そういう制約から逃れ、
「魂の成長」という観点で「人生」のコース取りをすることが、
この「人生ゲーム」の「本質」だと私は考えます。
 
もちろん「経験」だけでは、栄養不足です。
「経験」「知識」「考察」、この3要素が三位一体となって自身の「魂」を成長させます。
 
「経験」はいつやってくるかわからない「一期一会」の糧ですので、
普段から「知識」のストックと「考察」力のトレーニングは欠かせないと考える次第です。
 
「人生」は、釣りに似ています。
「知識」という釣り竿を揃え、「考察」というエサを用意し、
質の高い「経験」がやってきたら、うまく釣り上げて自身の「魂」の糧にするのです。