「座右の銘」の使い方

私の「座右の銘」は、
アインシュタイン博士の
「人の価値とは、その人が得たものではなく、その人が与えたもので測られる」です。
 
座右の銘」とは、
かつて中国の皇帝が、自分の右側の席に自分の信頼できる補佐官を置いたことに由来します。
「銘」とは、もともと鐘や器物に文字を刻む文体。
 
常に自分の心に留めておいて、
「戒め」や「励まし」とする言葉を「座右の銘」と呼びます。
今回のテーマは、「座右の銘」の「励まし」の機能についてです。
 
さて「座右」の由来を、皇帝の信頼できる補佐官のことだと言いました。
であるならば、「座右の銘」となる言葉に対しても、
それを「心」から「信頼」しているかどうかが重要です。
 
つまり、「なんとなく耳障りがいいから」という理由では弱いということ。
腹の底から、この「言葉」のために命を懸けると誓える言葉であるということ。
 
座右の銘」を最大限に活用するためには、
臣下である「座右の銘」に、「命」を預ける覚悟があるかどうか。
このことを「心」に誓うために、様々な手段を講じるべきです。
何か儀式的なことをやることもよいと思います。
 
「何を大げさな」と思うかもしれませんが、
明治の若者たちは、福沢諭吉の「学問のすすめ」を読み、
己の人生の「照準」を合わせたのです。
 
私は、アインシュタイン博士の例の舌を出した写真を、
「人の価値とは、その人が得たものでなく、その人が与えたもので測られる」という
言葉と共に、
自分の部屋に貼り、毎朝その言葉を読み上げています。
 
吉田松陰の「言葉」を胸に、明治維新を成し遂げた若者たち。
福沢諭吉の「学問のすすめ」を「心」に刻み、日本の近代化を成し遂げた若者たち。
 
座右の銘」に「命」を預けることが、そんなに変なことだと私は想いません。
逆に惚れこんだ「言葉」に愚直に一途になることは、
今のおしゃれな世の中にはないカッコよさを感じるのです。
 
あなたには、「命」を預けられるほどの「座右の銘」がありますか?
 
「命」を預けるほどの「信頼」を抱いた時に、
座右の銘」は、きっとあなたを護ってくれるはず。
 
誰に何と言われようと、
座右の銘」と共に生きている限り、
座右の銘」はあなたを支え、そして進み道を照らしてくれます。
 
突然の暴風、耳を驚かせる雷鳴、行く手を阻む大波、どこかに連れ去ろうとする潮流。
私達は、何もわからぬまま、真夜中の海を進みます。
 
そんな暗闇の中、先人達が灯してくれた有り難い「明かり」があるのです。
その惚れこんだ「言葉」に向かって真っすぐ進むことで、
私たちは惑わずに前を見て進むことができます。
 
この「世界」を真っすぐ歩けることが、どれほどの価値を有しているのか?
惑いに惑った私には、その有り難い価値が痛いほどわかるのです。