「生存戦略」を常に考える
雑草を調べていると、飽きません。
そこに、様々な「生存戦略」があるからです。
セイタカアワダチソウやナガミヒナゲシのように、
周りの土壌に毒を分泌して自分の陣地を拡大していく雑草。
(過去ブログ:セイタカアワダチソウの仁義なき戦い)
(過去ブログ:【雑草界のルーキー】ナガミヒナゲシ)
中には、自分の根や葉を持たずに、
他の植物に寄生して繁殖するアメリカネナシカズラという雑草もいます。
(過去ブログ:「根」も「葉」もない話)
私を含め迷いの中に生きる人間達は、
ストレートに生きる野生の「生命」から学ぶことが非常に多いと考えます。
キリスト教の影響でしょうか。
人間を「万物の霊長」と称し、
全「生命」の一番上に位置づける風潮が社会常識となっています。
そんな思い込みをしていたら、人間は裸の王様です。
人間とは異なる進化を遂げた「生命」達の生き様には、学ぶ点が無数にあると考えます。
例えば会社で働く人々。
会社に勤めるということは、その場から動かずに一箇所で働くことを意味します。
そういう観点から考えると、
「動物」というよりは「植物」の「生存戦略戦略」が役に立ちそうです。
そして「植物」の中でも、
自前の「生存戦略」を駆使してブイブイ言わせている「雑草」にこそ、
その「生きる」秘訣をインタビューしたいと思いませんか?
一つの空き地を想像してみて下さい。
そこには、自ら光合成を行い真っ当に繁栄している「雑草」たちがいます。
一方で、セイタカアワダチソウのように周りの土壌に毒を分泌して、
自らの繁栄のために他の「雑草」たちに犠牲を強いながら
生きている草も存在する訳です。
そして、自らは光合成もせずに、
他の「雑草」から養分を吸収しているアメリカネナシカズラのような草も
いるかもしれません。
多種多様な「雑草」が、空き地という限られた場所にひしめき合っている訳です。
会社という場所も、空き地と同じ側面を持つと考えます。
もちろん全社員が一丸となって、組織のために働くのが理想的なのですが、
大なり小なり会社の中での影響力争いも発生する訳です。
もし万が一自分がそういった会社の影響力争いに巻き込まれたとしても、
感情的にならずに、
それぞれの登場人物の「生存戦略」を冷静に見極めることが肝要だと考えます。
こういった影響力争いは結局の所、
空き地の「雑草」の生存競争と同じ「本質」を有するのです。
その争いは、誰かが感情的に起こした人為的なものと言うよりは、
共通の土壌に生えている以上宿命的に起こる、
自然の流れと捉えた方が、状況をパターン化しやすく対策も採りやすいと考えます。
自分以外の登場人物達が、
どのようなタイプの「生存戦略」を採っているか見えてきたとき、
初めて自分の「生存戦略」が決まってくるはずです。
別に、相手と同じ「生存戦略」を採る必要もなく、
そういった土壌において、自分はどう生きていきたいのか、
全体を俯瞰した上で「心」で決める話なのだと思います。
自分は、この土壌でどのようにありたいのか?
自分の決める「生存戦略」に正解はありませんが、
間違いは明確にあると考えます。
それは、生存できない結末を迎えてしまう戦略です。
会社の場合は、生存できない=退職になるでしょうが、
「生命」というものは、そういう結末を簡単に選ぶものでもありません。
ナガミヒナゲシのように綺麗な花を咲かさなくても、
せっせと光合成して土壌に根を張り巡らせ、
地盤を頑丈にする植物だって存在する訳です。
現に、外来勢力として破竹の勢いのセイタカアワダチソウを抑えているのは、
日本の在来種のクズです。
クズは、地中深くまで根を伸ばすことにより、
セイタカアワダチソウの分泌する毒物の影響から逃れることに成功しました。
そして成長したクズは、どんどんセイタカアワダチソウを覆っていき・・・
ついには、クズ自身の葉の重さと光の遮断で、
セイタカアワダチソウの成長を阻害し始めるのです。
私もそうですが、人間同士の競争だとついつい同じ土俵で争いがちです。
しかし「雑草」は教えてくれます。
相手を打ち負かすのでなく、生き残る方が価値なんだと。
(写真は、ナガミヒナゲシの花です)