仕事の極意(「環境」の主人になる方法)

先日、北鎌倉の円覚寺の座禅会に行ってきました。
 
円覚寺は、禅宗臨済宗円覚寺派大本山です。
境内には現在も禅僧が修行をしている道場があります。
毎週土曜・日曜日には、一般の人も参加できる土日坐禅会が実施されていて、
かつて夏目漱石島崎藤村もここに参禅したそうです。
 
私は、毎月第2・第4日曜日に行われている日曜説教座禅会に参加してきました。
 
内容は2時間の会で、最初の1時間がお寺の住職の説教。
そして、その後の1時間が座禅会です。
 
私は座禅をしたことがなかったので、座禅を目当てに参加したのですが、
前半の、御年93歳の住職のお話に、とても感嘆しました。
 
参加者もすごく多かったです。
なんと100名以上の方が、住職の説教を聴きに参加していました。
 
今回私が「なるほど!」と思った話が2つあります。
 
一つは、ノートルダム清心学園の理事長をされている渡辺和子さんのお話。
この方は、9歳の時に二・二六事件に遭遇しています。
当時陸軍省教育総監であった渡辺錠太郎氏(お父様)が青年将校に襲撃されて、
43発の銃弾で命を落としたのを目のあたりにしました。
殺されるであろう事を感じた渡辺錠太郎氏は、
傍にいた次女の渡辺和子さんを近くの物陰に隠し拳銃を構えたましたが、
直後にその場で殺害されたそうです。
 
その後、渡辺和子さんはアメリカの修道院に入ります。
 
今回の住職のお話は、渡辺和子さんの修道院での体験のお話しでした。
渡辺和子さんは、修道院でテーブルに皿を並べていました。
このとき若い渡辺さんは、
「なんで私がこんなことを・・」というようなことを感じながら作業をしていたそうです。
 
その時、他の修道女が来て、
「あなたは何を考えてお皿を並べていますか?」と質問をされました。
これに対し、渡辺さんは「何も考えていませんでした」と返答をしたのですが、
修道女は「それは、もったいない」と話されたそうです。
「お皿をテーブルに置くときに、1枚1枚お客様の幸せを願って置いていたら、
 とても有効な時間になっていたでしょうに。」と。
 
この体験で渡辺さんは、
人は環境の奴隷にも、環境の主人にもなれると、学んだのだそうです。
すなわち、お皿を並べるという単純な作業であっても
「ああ、イヤだイヤだ」と感じながら作業するのと、
「お客様が美味しく食べられるように」と心を配って作業するのとでは、
全く正反対の価値が生じるということなのだと思います。
 
「ああ、イヤだイヤだ」と感じながら作業するのは、まさに奴隷です。
そこにあるのは、自分の意に反して「やらされている」という思考であり、
自分は可哀想な被害者になってしまっています。
 
一方で、「お客様が美味しく食べられるように」と心を配って作業する場合、
自分が望んでその作業を行っていますので、
自分が主体的にその場を創りだしている状態になります。
これは、その環境の主人になっていると言える訳です。
 
誰も、奴隷にはなりたくないと思いますが、
しかし実生活においては、私も含めて、
自ら奴隷になろうとしてしまう傾向が強いと感じます。
 
その方が責任がなくて楽だからでしょうか。
だけど奴隷なんて苦しいだけ。
「イヤだイヤだ」と作業することの徒労感や息苦しさは、皆さんも経験している通りです。
 
そうではなくて、
「この作業は私が責任を持って総指揮者としてこなすんだ」という意識を持てば、
作業に感じる徒労感はなくなり、
創意工夫の意欲と「自分がやってやるんだ」という充実感が生まれます。
 
私はこのお話を聴いて、目からウロコが落ちる思いでした。
これこそが、仕事の極意だと感じました。
 
この「人は、環境の奴隷にも、環境の主人にも、なれる」というお話し。
皆さんは、どう感じられたでしょうか?
 
さて住職の話に、もう一つ「なるほど!」と感じたお話がありました。
 
それは、円覚寺を訪れた高校生と老夫婦のお話。
修学旅行で訪れたある高校生達が、
「この池の先には何にもないぞ!」と話していたそうです。
自分も高校生の頃は、きっとこんな感性だったと思います。
一方で老夫婦は、こんな会話をされていたそうです。
円覚寺は、春に来ても夏に来ても、どの季節に来ても素敵ね。」
 
住職はこの差を、「キャリアの差」とおっしゃっていました。
そして、これは「お話」にも当てはまると。
同じ話を聴いても、
ある人には退屈にしか感じないが、ある人にはとても貴重に感じることができる。
これは、話の受け手側に、
その価値をキャッチするアンテナが存在するということです。
 
世界から素敵な価値をキャッチするこのアンテナを、
私は是非磨いていきたいなと感じました。
 
このアンテナを磨くために必要なことは多分、
思い悩んだり挫折したり、この私のブログのように日々考え続けたり、ということ。
常に常に「心」を動かすことだと思います。
 
そういう意味では、悩みや挫折も大歓迎かも。
悩みの少ない楽な「人生」では、アンテナを磨けないと感じませんか?
 
実は「環境の奴隷にも主人にもなれる」という今回のお話し。
過去に、渡辺和子さんの著書を読み、その中で知っていたような気がしています。
 
しかし、その時にはアンテナは働いていなかった。
今回仕事のことで大きく悩み、改めてこのお話しに出会うことができて、
私はようやくこの価値をキャッチすることができました。
 
「人生」には、タイミングということもある訳です。
常に常に「心」を動かすために、
価値がありそうな書籍を読んだり、お話しを聴きに行くことは、とても重要だと思います。
 
特に挫折したり悩んだりしているときは、アンテナが研ぎ澄まされているチャンス!!
価値ある気づきを自分の糧にするために、積極的に先人の言葉を探しに行くべきです。