サバイバルこそ「生命」の本質

映画「ジュラシックパーク」が、
大きな興業収益をあげているようです。
 
それに比べて、現在地球上に生きている動物の映画は、
ジュラシックパーク」ほどには、興業収益をあげていません。
 
よい動物映画も、たくさんあるのですが・・・。
 
私は動物たちや植物たちから、
私あるいは人間の生き方を模索している訳ですが、
よい動物映画は、私達に「生きる」ことの意味を教えてくれます。
 
例えば、映画「皇帝ペンギン」はいかがでしょうか?
(吹き替え版が、感情移入しやすくてオススメです)
「生きる」ために、皇帝ペンギン達は、
南極では秋にあたる3月から4月の頃、
海を離れて繁殖地である海岸から50-160㎞離れた内陸部移動します。
あのヨチヨチ歩きで移動するのです。
移動した内陸部にはエサがないため、
まず産卵したメスが海に戻ります。
その間、オスが卵を温めます。
メスが海で餌を確保し戻ってくることには、
なんとオスは120日も絶食しているのです。
ようやくメスが戻ってきたら、
その頃にはもう卵から孵ったヒナとメスが残り、
今度はオスが海に向かいます。
120日以上も絶食したオスが、50-160㎞も歩いて海へ。
まさに決死行です。
 
そんな彼らの生き様を見ていると、
自分の「生きる」なんて、本当に生ぬるいなと実感します。
 
「生きる」って、どういうことなのでしょうか?
成功して大金持ちになる人、借金を背負いながらも必死に生きる人。
私から見ると、どちらも等しく価値ある「生」を生きていると感じます。
 
「生きる」って、人間社会の枠を越えた何かです。
人間社会の基準で「生きる」を考えても、答えは出ない。
もっと他の「生命」達の生き様も参考にしないと。
「生きる」ことを考えるなら、「生命」全体の視点を持つことが必要です。
 
私達人間の社会あるいは会社において、
優れた業績を修める人と、そうでない人がいます。
そういった差に一喜一憂するよりは、
もっとスケールの大きな視野を持ちたいものです。
 
例えば、道ばたの雑草を見てみましょう。
彼らは、隣の花よりも自分の花が綺麗かどうかなどには、全く興味を持っていません。
しかしそこで生き残ることには、貪欲です。
 
こういった雑草の生き方に、学ぶべき点があると思います。
他者との比較や業績の高低でストレスを感じるのでなく、
与えられた場所で自身の役割を果たすことに「命」を使うべきでしょう。
 
どうしたら、ここでより深く根を張れるのか?
どうしたら、より多くの葉っぱを茂らせて、自分の「心」の成長の糧にできるのか?
 
そういったことに腐心すべきだと私は思うのです。
 
雑草は、その場で生き残ることのみに「命」を使います。