お釣りが来る

「転んでも、ただでは起きない」
「雨降って、地固まる」
「涙の数だけ、強くなれるよ」
私の好きな言葉です。
 
私の人生経験を通じて考えると、
「心」の成長や「生きる」上での気づきは、
やはり苦しいときに起こります。
 
過去ブログでモヤシの話をしましたが、
「モヤシ」は燃えているか?
あの白くてひょろ長いモヤシの姿は、
決して「ひ弱」の象徴ではなく、
光がないという植物にとって絶望的な逆境にあっても、
持てる力とエネルギーを全て振り絞り、
光のあるところに到着しようとする「生命」の「覚悟」や「タフさ」の象徴です。
 
私も含めて、苦境や逆境で苦しんでいる人は、
モヤシに見習うところが多分にあると感じます。
 
「生命」の歴史は、逆境との戦いです。
抗生物質の発達に伴って生まれた耐性菌を見ればわかるように、
「生命」の進化は、逆境に対抗するために行われてきたと言っても過言ではありません。
そして長い進化の階段を昇ってきた我々は、
逆境に対抗する驚くべき力を秘めている訳です。
 
ですので、苦しいときこそ「生命」である我々の本領発揮だと想います。
 
最近見えてきたのが、私独自の苦境からの復活パターンです。
その苦境をパターン化して、客観的俯瞰的な解決策を見つけることで、
「心」の平安を得ることができるようになりました。
 
この解決方法に重要な役割を果たすのが、このブログです。
 
もう5年以上もブログを続けている私の「心」には、
表現したいことを表面に浮かび上がらせる潜在的な傾向が染みついています。
その結果、朝起きると描きたいことが「心」に浮かんでいたり、
日常でもことあるごとに「アハ体験」のような気づきが発生するのです。
 
ただ苦境と呼べるような重い問題への気づきは、
日常でなく目覚めたときに降りてくることが圧倒的に多いように感じます。
 
この浮かんでくる解決策は、今までにない全く新たな知識という訳ではないのです。
今までにストックしてきた情報や考察が有機的につながって、
それが知恵として目の前に現れます。
 
自分の「心」に蒔いた種が、逆境を受けて発芽したような感じです。
 
今回も自分にとって大きな苦境の中にいたのですが、
その分大きな収穫もありました。
 
昨日の記事を描き上げた後なんかは、「これはお釣りが来るな」と感じるくらい、
感じた苦しみを上回る、よい気づきや表現ができたと喜んだのです。
 
私は、想います。
「苦しみ」からいくら逃げても、それは利息をつけてまたやって来る。
そして「心」の「苦しみ」に対抗する手段は、肉体的な腕っ節ではありません。
対抗策は、「心」を動かすことでしか得られないのです。
 
そのためには普段から、
書籍を読んだり、日記のような文章を書いたり、
綺麗な景色を見に行ったり、一生懸命に悩むことで、
「心」を鍛えてたり整えたりする必要があると考えます。
 
受け身でなく自主的に「心」を動かすのです。
テレビのバラエティーをボーッと眺めるのもよいですが、
その時間を自分の「心」が望んでいることに使うと、
きっと必要なときに必要な知恵が芽生えます。
 
もっと「心」と対話をしましょう。
「心」は、唯一本当のあなたの味方です。
その大切な「心」を枯らすか成長させるかは、あなた次第だと思います。