この線を出たら・・・

先日5歳になる甥と一緒に歩いていたところ、
甥が横断歩道の白線の上を一生懸命に歩いていました。
どうやら、舗装されていないところを出たらダメというルールを、
自分で決めているようです。
 
「ああ、自分も昔こんなことをやっていたな・・・」という記憶が蘇りました。
 
おそらく私や甥に限らず、
多くの人が子ども時代、
白線から出ないで歩く遊びをしていたのではないでしょうか。
甥の他にも同じ遊びをしている子どもを、私は町で見かけたことがあります。
 
とても興味深い現象です。
 
そして併せて、こんなことを考えました。
 
我々大人から見ると、
「白線から出てはいけない遊び」は他愛のない遊びです。
しかし我々大人も、気づかないだけで実は同じようなことをしているんじゃないかと。
 
この「白線から出てはいけない遊び」は、大人から見たら「遊び」ですが、
当の子どもにとっては、「遊び」ではありません。
結構、マジにやっているはずです。
「この線から出たら、死んじゃうんだ」ぐらいの勢いで。
 
そして我々大人でも、
そのような妄想のデッドラインを作ってしまうことが多々あるように思います。
 
例えば、「頼まれたらイヤと言ってはいけない」とか。
 
もちろん現実の世界では、
「イヤ」だったら断ればいいんです。
しかし「断ったらダメだ」というルールが勝手に形成されてしまって、
必死に白線の中を歩こうとする。
 
子どもは、いつしか白線歩きの遊びを卒業します。
それは、黒い舗装部分に出てしまっても「大丈夫」だと気づくから。
 
「断ったらダメだ」というルールを作ってしまう人も、
一度黒い舗装部分に足を踏み出して、
「大丈夫」と気づく必要があるように思います。
 
私も、「断ったらダメだ」というルールを持っている一人です。
でも最近、黒い舗装部分に足を踏み出して、「あれ?大丈夫かも」と思い始めています。
 
横断歩道を渡るにしても、白い線の中だけ歩いていたら、非効率だし危ないです。
同様に、大人になって形成されたルールの中で、
自分にとって非効率で害を与えるようなルールからは、
積極的に卒業する必要があると思います。
 
それには、黒い舗装部分に足を踏み出すことが重要です。
今まで従ってきた妄想のルールってたくさんあると思います。
まずは、そのルールの存在に気づき、
非効率かどうか、あるいは有害かどうか、頭で考えてみる。
 
有害だと気づいたら、あえて黒い舗装部分に足を踏み出す努力を続けると、
「人生」がどんどん解放されていくような気がします。
この作業、意識的にやっていくと、結構楽しそうです。
 
もちろん、黒い舗装部分に足を踏み出したら本当に害が生じるルールもたくさんあります。
例えば、「物を買ったらお金を払う」というルールを破ったらどうなるか?
 
破ってよいルールかどうかは、頭で考えれば簡単に判別できると思うので、
まずは自分の中にあるルールを書きだして、
いらないルールを断舎利していくと、
きっと自分にとっての「世界」が拓けてくるはずです。
 
いろんな妄想ルールから解放されたら、
「なんでこんな窮屈なところで、今まで生きてきたんだ?」と、
今までの自分を不思議に思うかもしれません。
 
こんなに世界は広いのに、
もしかしたらずっと「白線」の中だけを歩いているかもしれないのです。
それって、とってももったいないことだと想います。