ただただ、生きることができるようになると・・・
ススキの根本から、
ナンバンギセルという植物が生えていることがあります。
(ウィキペディアは、こちら)
写真を見て頂ければわかるとおり、
南蛮渡来のキセルのような形の花を咲かすところから、
この名前がついています。
実はこの植物、ススキなどのイネ科の根に寄生する寄生植物です。
自分で、光合成を行ったり、根から水を吸ったりしません。
養分等生きるのに必要なものは全て、宿主の根から吸い取っているのです。
ですのでこの植物には、
光合成のための葉っぱも土から水分を吸い取るための根もないのです。
そして実は、茎すらほとんどありません。
茎のように見えるキセルの持ち手の部分は、
実は長く伸びた花柄です。
土の中に退化したごく短い茎を持ちます。
つまり地面の上に生えているのは、花だけなのです。
ご存じの方も多いと思いますが、
ラフレシアという世界最大の花があります。
実はこの植物もナンバンギセル同様、完全寄生植物です。
ラフレシアはブドウの根に寄生して養分を吸い取り、
やはり地面にあの巨大な花だけを出現させます。
(ウィキペディアは、こちら)
1826年に、トーマス・ラッフルズの調査隊によってラフレシアが確認された際、
地面から直接咲く直径90センチの不気味な花に、
同行したメンバーが「人食い花ではないか?」と恐れたそうです。
ウィキペディアによりますと、
ブドウ科植物の根に寄生し、
本体は寄主組織内に食い込んだごく微細な糸状の細胞列からなり、
ここから直接花を出す。
茎、根、葉はない。
と記載があります。
ナンバンギセルと同様に、花だけの植物という印象です。
この2つの植物を見ていると、
生物の最大の目的は、やはり自己複製と増殖なんだなと感じます。
宿主に寄生して、生きるための努力が不要になったとき、
生物は生殖器だけの存在になった訳です。
じゃあ、人間が将来機械等に寄生して、
生きるための努力がほぼ不要になったとき、
遠い将来生殖器だけが発達した姿になるかというと、
そうはならないと考えます。
なぜなら人間には、性欲の他にも様々な欲があるからです。
科学の発達で、人間の体を改造して、食べたり寝たりする必要がなくなれば、
食欲や排泄欲、睡眠欲をなくすことはできるかもしれません。
24時間、生きている時間を自分のために使うことができるのです。
未来ならバーチャル技術も発達しているので、
その時間を性欲を満たすことに集中させることもできると思います。
しかし、人間は性欲だけに生きるにあらず。
食欲や睡眠欲をなくすことができても、
発達した脳がもたらす欲求を消し去ることはできないだろうと、私は考えます。
例えば、未来の人類も「ポケモンgo」のような遊びを楽しんでいるはずです。
芸術や知識に関わる楽しさというのも、捨てられないと思います。
ナンバンギセルやラフレシアは、何もする必要がなくなったとき、
生殖器だけの存在になりました。
不要な部分を切り離してそういう姿になったのですから、
彼らの本体は生殖器だと言えるでしょう。
しかし将来人間が何もしなくてもよくなった時、
脳を捨てることは考えられません。
脳を捨てるぐらいなら、性欲や生殖器を捨てそうです。
実際昔の中国には、
生殖器を捨て権力欲や物欲を満たすことを選んだ宦官という職業もありました。
そう考えると、長い進化の末人間の本体は、
いつの間にか脳にシフトしたのではないかと考えられる訳です。
例え物質的に生きることに苦労しなくなったとしても、
人間の脳(もしくは魂)は、何かを求め続けます。
生命は、人類は、何を求め、
そしてどのような答えにたどりつこうとしているのか?
私は「生命」の進化の中に、何らかの「意味」が生じてきていると感じています。
最初は「意味」などなかったのかもしれませんが、
長い長い「生命」の営みの中で、
「意味」あるいは「目的」が自然発生しているように感じるのです。
生きている内に、そこに少しでも触れることができたら「幸せ」だろうなと感じます。