「情報」は、2度生まれた

本日は前回に引き続き、
「生命のからくり」(中屋敷均著)という書籍から頂いた情報を基に、
ブログ記事をお届けします。
 
前回の記事でも描きましたが、
「生命とは何か?」ということに興味を持たれている方には、
是非おすすめしたい書籍です。
この書籍を読めば、
「生命」とはこの「世界」でどういう存在なのかということを、
観念的に理解できると思います。
 
さて「生命」とそうでない「モノ」との違いは、何か?
 
様々な線引きがありますが、
私はこの書籍と、同じ著者の「ウィルスは生きている」を読んで、
以下のような認識を持っています。
 
それは、「生命」とは「情報」を持った存在であるということです。
 
全ての「生命」は、DNAやRNAという「遺伝情報」を有しています。
その「情報」とは、
ATGC(あるいはAUGC)という4つの記号を組み合わて表現されたものです。
 
「生命」の形成や活動は全て例外なく、
この4つの記号の並びに従って行われます。
「遺伝情報」とは、
「生命」が動くためのプログラム言語とも言える訳です。
 
であるならば、
4つの記号からなる「遺伝情報」さえ記録されていれば、
どんな「生命」でも復元や複製が可能になる未来がもうすぐやってくるかもしれません。
 
しかし、いくら「遺伝情報」を復元したって、
真に同じ個体ができる訳ではないと、多くの人が思うでしょう。
私も、そう思います。
一卵性双生児は、同じ「遺伝情報」を有していても、
同じ人だと認識されることはないのです。
 
個体の形成には、「遺伝情報」の他にもう一つ「情報」が必要となります。
 
それが「脳情報」です。
「脳情報」は、生命が「脳」という情報器官を獲得したときに、生まれました。
 
例えば、ウグイスは親や仲間達からさえずり方を教わるそうです。
なので、ウグイスの住むエリアによって、そのさえずりには方言が存在します。
 
ということは、ウグイスのさえずりは、
「遺伝情報」だけに制御されている訳ではないのです。
ウグイスのさえずりは、
その実行時に、「脳情報」という別の「情報」も参照されています。
 
そして人間。
「脳」の生物である人間は、他の動物よりも更に更に莫大な「脳情報」を有しています。
 
もちろん「脳」のキャパシティが他の動物よりも大きいということが一つの理由です。
しかし、もっと重大な理由があります。
それが、「文字」の発明です。
 
人類は「文字」を発明することにより、
「脳」の中にあった「脳情報」を書籍という外部記憶媒体
記録・累積することができるようになりました。
この「情報」管理のブレイクスルーにより、
人類は「文明」を手に入れることができたのです。
 
今現在、私達の「世界」には、2種類の「情報」しかありません。
一つは「遺伝情報」、もう一つが「脳情報」です。
 
初めに「遺伝情報」が、生まれました。
この「情報」の記録媒体は、「生命」です。
「複製」と「変異」と「淘汰」という3つの仕組によって、
「成功体験」がどんどん蓄積され、
「遺伝情報」は、「情報」の高度化(=生命の進化)を続けています。
 
そして「生命進化」の結果、「脳」という情報器官の獲得によって、
もう一つの「情報」が世界に誕生したのです。
「脳情報」は、「学習」という形で「生命」が生き残るために活用されています。
  
そして注目すべき点は、
「遺伝情報」と同じく、
「脳情報」も「情報」の高度化スキームを獲得したということです。
 
前述したとおり「文字」を活用することで、
「脳情報」は「脳」という器官を離れて、
書籍やインターネットという外部記憶媒体に記録・蓄積されるようになりました。
「科学」の発展は、
まさにこの「脳情報」の高度化スキームの賜(たまもの)なのです。
 
このように考えていくと、我々「生命」と「情報」とは、
切っても切り離せない関係にあると感じさせられます。
 
というか、
「モノ」には「意味」や「目的」はなく、
「情報」の方に「意味」や「目的」があることを考えると、
「情報」こそが我々「生命」の「本質」あるいは「本体」ではないかと、
私は今考察しているのです。
 
「生命活動」において、「モノ」は取り替えのきく材料に過ぎません。
実際、人の体は「モノ」としては、常に入れ替わっていて、
6年前の自分と今の自分では、全く異なる「モノ」でできているそうです。
 
しかし、6年前の自分と今の自分は、同じ自分という感覚がありますよね?
それは、やはり我々「生命」の「本体」が、
「脳情報」や「遺伝情報」という「情報」の方にあるからだと、私は想うのです。