思考の「フォグランプ」

「旅は道連れ 世は情け」
「江戸いろはがるた」の「た」の文字で読まれることわざです。
 
故事ことわざ辞典によりますと、

昔は情報量も少なく旅先に知人などもおらず、
今と違って旅は大変不安なものだったことから、
旅に同行者がいるということはとても心強く感じられる。
同様に、人生の旅も人の情けや思いやりがあってこそ心強く感じられるものだし、
助け合う気持ちが大切だということ。

という意味だそうです。
 
昔の旅ですから、
今のガイドブック片手に行くお気軽な2泊3日の旅とは異なります。
 
旅の途中で追いはぎに遭うかもしれない。
死の危険だって、あり得る訳です。
 
旅先に知人がいる訳ではなく、
様々なリスクがある旅路ですので、
やはり頼りになるのは、旅の同行者になります。
 
この「道連れ」を満たす要件は2つです。
(a)気を使う必要がない信頼できる相手
(b)共に同じ旅路を歩く意思のある相手
 
(a)を満たしていても、(b)を満たさない相手はいるでしょうし、
(b)を満たしていても、そもそも(b)を満たさない相手もいると思います。
 
しかしこの両者を満たす相手ならば、
道中楽しい旅になりそうです。
 
これは「人生」においても、同様だと考えます。
 
「人生」の道連れというと、
「伴侶となるパートナー」ということになりますが、
やはり(a)と(b)の両方を満たすことが、
「人生」を楽しく生きるコツになるように思うのです。
 
しかし「人生」は単なる旅なのに、
「道連れ」を探す際に、
世間一般的に余計な条件を付加し過ぎる傾向にあると、私は考えます。
 
まずは、相手に依存しようとするパートナー選択。
これは男性女性共にです。
自分に依存する気満々のパートナーと旅をして楽しいと思いますか?
 
お互いがお互いのできることを分業する協力体制ならよいのですが、
そこに「依存」が入り込むと、旅は楽しくなるなると思うのです。
 
そして、楽しい旅をするのに、
相手の容姿のかっこよさはそんなに重大な要素でないような気がします。
それよりも気心が知れているとか、そういった相手とする旅の方が、
きっと楽しいはずです。
 
私は、物事は「本質」を観ることが重要だと考えています。
「人生」というと、とても複雑なように感じて思考停止し、
ついつい欲望や行き当たりばったりで判断をしてしまうことが多いように感じるのです。
 
もちろん「人生」というものは、実際複雑で完全に理解することはできません。
しかしそれでも、その複雑さをある程度無視して、
「要は、こうでしょ!」という類推をする努力が、
私達の「フォグライト」になるはずです。
 
夜の濃い霧の中では、怖くてアクセルを踏めません。
それでも、そこに留まり続けることができないので、アクセルを踏めば、
人によってはガケから落ちてしまうこともある。
 
じゃあ、ラジオで情報を得ましょうか?
「○○地方に、濃霧警報が出されています」という情報がわかったところで、
自分がそのまま前に進めばよいのか、あるいは右か左か、戻るべきなのか、
現状の自分に役立つ情報は一向に出てこない訳です。
 
カーナビがあればよいんでしょうが、
残念ながら私達の「人生」には、
一人一人に適切な情報を出してくれるそんな便利なツールは存在しません。
 
だから仕方ないので、
自分の車についている「思考」という名の「フォグランプ」をつけるべきなのです。
 
フォグランプ」をつけながら走れば、
ガケから落ちる危険性は激減すると思います。
 
「伴侶となるパートナー探し」も、
具体的なやり方など提示されず、
あるのは嘘か誠かわからないような、メディアや周囲から流れる流言飛語。
 
そんな濃霧の中なのですから、
自分にとって「人生」とは何なのか?
そこを一緒に生きる「伴侶」とは、何なのか?
 
そういった「思考」の「フォグランプ」をつけて動き始めることは、
とても有効なことであると考えます。