「大きさ」は、リアルか?

「点」とは、空間における正確な位置を定義するために使われる概念です。
一切の体積、面積、長さを持ちません。
(点のウィキペディアは、こちら
 
「一切の体積や面積、長さを持たない」と言われても、
「概念」としてなら、容易に理解できると思います。
 
もちろん現実世界では、そういった存在はあり得ないはずです。
 
しかし実際には、
電子のようなこの世界を構成する最小単位の素粒子は、
大きさを持たないのではないかと言われています。
 
以下、ウィキペディアからの引用です。

電子の大きさ(内部構造)については、
標準模型においては内部構造のない点として扱われるが、
それを超える模型において電子が
大きさを持つかどうか・内部構造を持つかどうかは判明していない。
これまでに高エネルギーの電子の衝突実験で電子に大きさがある兆候は見つかっていないし、
電子を大きさのない素粒子として扱って矛盾のない量子論(量子電気力学)も
ほぼ完成している。

 
電子の他の素粒子も、大きさを持たない可能性を指摘されています。
以下、ウィキペディアからの引用です。

素粒子の大きさは分かっておらず、大きさが無い(点粒子)とする理論と、
非常に小さいがある大きさを持つとする理論がある。
標準模型(標準理論)では素粒子には大きさが無い(点粒子)ものとして扱っており、
現時点では実験結果と矛盾が生じていない。

 
この現実世界を構成している最小単位の素粒子に、
「大きさ」がないかもしれないというのは、とても不思議な話です。
 
ゼロをいくら集めても1にはならないように、
「大きさ」のないものをいくら集めても、
「大きさ」のあるものは構成できないような気がします。
 
「ちりも積もれば山となる」訳ですが、
素粒子が積もったら、はたして本当に山になるのでしょうか?
 
この疑問について、ウィキペディアではこんな解説がなされています。

我々が普段目にする物質は
(微小な、あるいは大きさが無い)素粒子からできているにも関わらず、
有限の大きさを持っている。
それは、複数の素粒子が運動する有限の領域が、
ハドロンや原子などの大きさを持つ粒子を構成することによる。

素粒子は空間を運動をしており、
その「運動の範囲」が積み重なって、原子や分子を形成しているので、
この世界の物体は「大きさ」を持っているということになる訳です。
 
しかしそうならば、
「大きさ」というものに対する私達の認識を改める必要が出てくると思います。
 
例えば、目の前に美味しそうなステーキ肉があるとします。
その肉には「大きさ」がある訳ですが、
しかし肉を一番小さな「粒」まで分解すると、
その「粒」には「大きさ」がないと言われているのです。
 
単にその「粒」の運動の残像が、
私達の目や手に「大きさ」として認識されているに過ぎません。
 
「モノ」を構成する最小単位の「粒」に「大きさ」は存在せず、
その「粒」の持っている「意味(機能)」と「位置情報(運動情報)」の2つが、
この世界を構成している源となる訳です。
 
このように考えると、
この世界の全ての事象は「情報」に還元できるのではないか?と、
私は考えてしまいます。
繰り返しますが、この「世界」を構成する粒には「大きさ」がないのです。
 
このように考えていくと、
この「世界」は、映画マトリックスのようにバーチャルである可能性すら出てきます。
 
すなわちコンピュータのような「情報」機器で、
「世界」が創られている可能性も否定できないのです。
 
私達は「世界」を知ろうとするときに、
「モノ」という観点で「世界」を捉えようとしてきました。
しかし「世界」の「本質」は「情報」にあると、私には感じられるのです。
 
「情報」とは何か?「意味」とは何か?「言葉」とは何か?
こういったところの「考察」を、
私はこのブログで進めていきたいと考えています。