「精神的免疫」

1万件以上のリツイートと「いいね」をとったツイッターのつぶやきが
ネット記事で紹介されていました。
ultravioletさんという方のつぶやきです。
 
以下、引用します。

自己肯定感を「自分は凄い人間だ!と思うこと」と勘違いしている人は多いが、
そうではない。
自己肯定感とは
「自分は凄い人間じゃないけど、それでも胸張って生きてていいんだ!と思えること」
なので自己肯定感の高い人は、他人にも寛容になりやすい

「なるほど、そうだよな」と思いました。
 
「自己肯定感 ツイッター」で検索したところ、
他にも興味深いつぶやきがありました。
あすさんという方のつぶやきです。

自分を守るのが自己肯定感と言う「膜」であり、
それが他者との境界線でもあるのだろうな
その膜がないことで、他者との距離も計れず、
自分も他者も守れない

 
また、モリナガアメさんという方のつぶやきでも、同様のことが書かれています。
こちらは、絵付きでわかりやすいです。

「皆自分でも気がつかない位当たり前に、
自分が存在しても良いという自信の膜のようなものを持っている」っていう考えは、
その自信の膜が少しずつつき始めた今も間違ってなかったなあと思っている。

この「自己肯定感」への解釈に、私も同意です。
「自己肯定感」とは、「精神的免疫」といってもよいものだと思います。
 
「免疫」とは、「自分と違う異物」を攻撃し排除しようとする人間の体の防御システムです。
たとえばウイルスや細菌など病気の原因になる微生物(=病原体)が体内に侵入したときも、
体は「自分とは違うものが入り込んだ」と判断し、排除しようとします。
コトバンクより引用)
 
体は、常に一定の状態を維持しようとします。
例えば、体温は36度台、体液のpH(ペーハー)は7.36〜7.44の弱アルカリ性
この体の働きは「生体恒常性」あるいは「ホメオスタシス」と呼ばれています。
ウィキペディアは、こちら
 
つまり体は、一生懸命に今ある自分の状態を保ち続けようとしている訳です。
「免疫」も、「自分と違う異物」を攻撃し排除して、体の状態を保つ働きをしています。
 
このような体の様々な努力の結果、自分の状態を保てている場合、
それを「健康」と呼ぶ訳です。
 
「精神」の「健康」も同様なのかなと、私は考えます。
 
「自己肯定感」という「精神的免疫」を働かせて、
外部環境からの脅威にダイレクトにさらされないようにして、
自分の「精神」が簡単に崩れないように保つことが、
「精神」の「健康」に寄与すると感じるのです。
 
もちろん、外部との接触を一切断つということではありません。
「体」だって、外部の食べ物を取り込んで自分の血や肉にする訳です。
「精神」だって、自己の成長のために、
「自分のもの」として取り込むべきものはたくさんあります。
 
しかしインフルエンザウィルスのように、
そのまま「体」の中に入ってきては困るものもたくさんあるのです。
 
ですから私は、「精神」の「健康」を保つために、
以下の2つの働きが重要であると考えます。
(1)外部から学ぶ姿勢、謙虚さ
(2)外部から守る免疫、自己肯定感
 
外部環境から、取り入れるものは取り入れ、はじくものははじく。
両方が機能して初めて、「精神」の「健康」が維持されると考えます。
 
さて冒頭の話題に戻るのですが、
1万以上のリツイートと「いいね」を得たつぶやき。

自己肯定感を「自分は凄い人間だ!と思うこと」と勘違いしている人は多いが、
そうではない。
自己肯定感とは
「自分は凄い人間じゃないけど、それでも胸張って生きてていいんだ!と思えること」
なので自己肯定感の高い人は、他人にも寛容になりやすい

「自己肯定感」が「自分は凄い人間だ!と思うこと」だった場合、
外部から取り入れることが不可能になり、「精神」は栄養失調になると思います。
一方で「自分は凄い人間じゃないけど、それでも胸張って生きてていいんだ!と思えること」
であるならば、
外部のよいものをスムーズに取り入れることが可能です。
 
「自己肯定感」を冒頭のつぶやきのように解釈した方が、
自分の「精神」の「健康」維持に役立つと思います。
 
では、「自分は凄い人間じゃないけど、それでも胸張って生きてていいんだ!」と思うには、
どうしたらよいのか?
 
それは自分に興味や関心を持つことだと、私は考えます。
理想の自分を追っているようなら、それは自分に関心がない証拠です。
自分から目をそらしています。
そうではなくて、ダメな自分も込み込みで、自分を知ろうとすること。
そして、愛でようとすること。
 
よく犬の飼い主が、
「うちのバカ犬が・・」と愛情を持って犬のことを話すことがあります。
その感情に近い感覚で自分自身に接することが、
「自己肯定感」を得るコツなのかなと感じるのです。
 
ペットを持ったことのある人なら、この感覚わかると思います。
犬が若かろうと老犬になろうと、デブになろうと、悪さをしたときであっても、
「本当にしょうがないな(笑)」と思いながらも、
その存在を大好きで大好きで仕方ない自分の「心」の状態。
 
その気持ちを自分自身に向けてみた時に、
健全な「精神的免疫」が100%働き出すのだと思います。