「情報」という観点から、「世界」を眺める

「モノ」は目に見えて、
「情報」は目に見えません。
 
その観点では、「モノ」は実であり、「情報」は虚である、とも言える訳です。
 
人類はずっと、目に見える「モノ」の研究に明け暮れてきました。
その結果、発展したのが「科学」です。
 
一方で、目に見えない「情報」の研究は置き去りにされました。
 
「情報」の研究と言えば、
例えば「神学」「哲学」「心理学」「人類文化学」「社会学」等です。
 
「情報」の研究が全くされていない訳ではありませんが、
「情報」を研究したって、
具体的に「エネルギー」や「便利な道具」を生み出すことはできません。
 
実益のある「モノ」の研究に、人類の関心は大きく傾いていったのです。
 
「神学」や「哲学」や「心理学」の研究を極めれば、
「魔法」や「超能力」を使えるようになるとかだったら、
そっちの「研究」にも、人類はガンガンエネルギーを投じたと思います。
 
そういった物質的には何の御利益も生まない「情報」研究ですが、
現代に至っても人々の関心がその分野から立ち消える訳ではなかったのです。
 
アインシュタインの名前を知る人よりも、
ブッダやキリストの名前を知る人の方が多いと思います。
ユングフロイトという心理学者の名前も、
そんじょそこらの「モノ」の科学者より有名ではないでしょうか?
 
人々が求めるのは、「モノ」だけではないということです。
人はパンのみに生きるにあらず。
「情報」言い換えれば「心」という観点において、満たされることを希求しています。
 
私は、「モノ」同様に「情報」も重要な存在であると考える次第です。
「情報」という観点から、「世界」を眺めた時に、
「情報」は「虚」ではなく、この「世界」の「実」であることがわかります。
 
「生命」は、「モノ」が遺伝情報という「情報」を持つことによって生まれたのです。
「情報」には「モノ」にない優れた機能があります。
それは、「蓄積」すればするほど「高度化」されることです。
「モノ」は、どんなに「蓄積」したって、その質を変えることはありません。
しかし「遺伝情報」の「蓄積」は、「生命」の進化という形で、
原始生命の頃から大きくその質を変容させているのです。
 
また「生命」が「言語」と出会うことで、
もう一つ重要な「脳情報」という「情報」が生まれました。
この「脳情報」は、書籍やデータという外部媒体も活用して、
ものすごいスピードで指数関数的に「蓄積」され「高度化」しているのです。
その結果、現在私達「人類」が享受している文明は、
今までの地球上で例を見ないような「高度化」された内容を有するようになりました。
(関連過去ブログ:「情報」は、2度生まれた
 
無生物の他の惑星と地球の違いを、
「モノ」の観点で説明することは困難です。
しかし、「情報」の観点で容易に説明することができます。
その惑星が「情報」をまとっているかどうかということが、
本質的・直感的に言える違いでしょう。
 
地球がまとっている「情報」は2つ。
一つは「遺伝情報」。
もう一つは「脳情報」です。
 
私は「情報」を「虚」ではなく「実」と捉え、
この「世界」の「真理」にアプローチしていきたいと考えます。