「知的好奇心」の源泉

なかなか時間が取れず、
なかなかブログを描けない日々が続いています。
 
ブログの更新が何日もできていないと、
とても気になってきます。
 
描くべきことは、たくさんあるのです。
世の中には「考察」すべき「知識」や「情報」が、
まだ山ほど眠っています。
ネタ切れなんて起こすはずがないほど、
「世界」は「お宝」で溢れているのです。
そういった「お宝」に出会うたびに、
私はものすごくワクワクします。
 
「世界」がまとっている「情報」は、本当に無限です。
そういう意味では、
この「世界」は無限に遊べる遊園地のようなものだと、
私は考えています。
 
最近の「知識」や「情報」の仕入れ先は、
主に電子書籍です。
学生の頃は推理小説等も読んでいましたが、
最近読む書籍は、科学系や思想系の本ばかりになっています。
 
推理小説の謎解きも面白いのですが、
やはり「世界」が投げかけてくる謎解きの方が、
はるかに巨大で深淵です。
 
例えるなら、マンガの「ワンピース」で、
登場人物が「最後のお宝」を手に入れるまでを読んで楽しむのか?
あるいは、本当にこの世界に「最後のお宝」があり、
自分自身がその「最後のお宝」を目指して試行錯誤するのか?
というくらいの差があります。
 
ところでマンガの「ワンピース」の登場人物達の目的は、
「最後のお宝」を目指すことなのですが、
読者を魅了する実際の内容は、
「お宝」捜索ではないのです。
仲間達との人間関係・信頼関係、
途中で出会う人達の苦しみ・優しさ、
途中で衝突する敵役への怒り・克服。
そういった濃い「人間」経験が、
読者を魅了するのです。
 
しかし「最後のお宝」を見つけるというワクワクする大目的がないと、
このマンガは締まらなくなります。
諸国を漫遊して悪を懲らしめるだけなら、
それは単なる水戸黄門になってしまう訳です。
 
「人生」も一緒だと思います。
 
仕事したり家族を持ったり様々な「人間」経験を積むのが、
この現実世界です。
それだけでも十分「価値」があることなのですが、
それでもその船の進むべき方向が明確でないようだと、
せっかくの「人間」経験の味がぼやけてしまうように思います。
 
天然のサーモンと、養殖のサーモンの違い。
天然のサーモンが本来与えられた目的を果たすべく、
「命」を賭けて生まれた川を遡り、最後の産卵を目指すのです。
どうしても、養殖のサーモンの味は天然のサーモンに比べてぼやけてしまいます。
 
サーモンが「命」を賭けて、生まれた川を遡上するなら、
人間は「人生」を賭けて、生まれた「世界」を遡上する存在なのかも?
 
私の「知的好奇心」の源泉はもしかしたら、
そういった「魂」の本質的なところから、
抑えようもなく湧き出ているのかもしれません。